長年、とある団体の役職の末席を汚していたのだが、定年という規約の抵触でお役御免となった。その最後の会合に出席した。
「全体で決まったことなので・・・などというのは、責任者としてとるべき責任の自覚が欠けている。」というのは、経営の神様と言われた松下幸之助の
『社員心得帖』で述べられたことばである。たとえ、多数決で決まっても、そのことを承認したなら、責任者の決定なのだが、しかし、それが絶対に不利な条件であったり、自分の責任で出来ることではないと判断したならば、敢然、反対する気力、根性があってこそ、責任ある立場の人間であると、松下幸之助は、社員に訴えたのであろう。
さて、とある団体の監査報告書に財務報告に対する監査人からの意見があった。異例の意見具申である。@財産目録のなかで、仮払金(請負代金請求弁護士費用\3,852,500)を認めることができない。A下部支部商品劵販売残高(不良債権\9,248,300)の発生経過の不透明性。を併記した、決算案承認の決を議長が求めた。意義ありの動議もなく決算報告が承認されてしまった。松下幸之助のことばが脳裡を横切ったのだが、すでに退任した者には発言の道は閉ざされていた。
新茶の苦みを噛みしめながら、この業界の激動の過去を思い出しているところである。
「事実を語ることは、だれにでもできる。が、真実で押し通すことは、そうだれにでもできることじゃないよ」少年時代愛読した、山本有三の
『真実一路』の一節が老人の脳みそをえぐった。
切歯扼腕し過ぎたのか、被せた歯が外れてしまった。
―今日のわが愛誦短歌
・
薔薇抱いて湯に沈むときあふれたる
かなしき音を人知るなゆめ 岡井隆
―今日のわが駄句
・戯れに被りてかなし夏帽子
人間はな。 人生という砥石で、ごしごしこすられなくちゃ、
光るようにはならないんだ。

104