青葉を吹き渡る風が、みどりの薫りを運んでくる。立ち寄った書店で目にふれた月刊雑誌
『男の隠れ家』(7月号)が「失われた路面電車のある風景」を取り上げている。路面電車で風町散歩という見出しを見るとこの季節ならではの格好の感触が伝わってくる。見開きページにある17景の路面電車のスポット写真をバックにして書かれている文章を読んでいると、郷愁のなかにさわやかさが感じられる。
「チンチン」車掌さんの合図で、ゴーツとゆるやかにスタートする路面電車。その音から「チンチン電車」と呼ばれていた。昔に比べると路面電車が走る町は少なくなってしまったけれど、今でも20近くの町ではまだまだ健在だ。昭和の車両だっていまだにたくさん現役で頑張っている。これからの町づくりに見直されている新しいタイプの路面電車。還暦を迎えてもまだまだ走り続けている郷愁あふれる路面電車。過去と未来をつなぐ路面電車で穏やかな町を散歩してみたい。との記事に誘われてこの雑誌にも取り上げられている、大阪市の恵美須町から堺市の浜寺駅前までを走る阪堺電気軌道の阪堺線の北天下茶屋駅から乗車する。聖天坂、天神ノ森、東玉出、塚西、東粉浜、住吉大社、住吉鳥居前、細井川、安立町、我孫子道、大和川、と、どの駅名からも想像できる所縁の歴史があって各駅に降りてみたくなる。堺市に入り、高須神社、綾ノ町、神明町と乗り継いで妙国寺前で下車する。
海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家
と詠んだ、与謝野晶子の生家のあったところである。彼女は、
『故郷』という詩に託して妙国寺のことを思い出している。
堺(さかい)の街の妙国寺、 その門前の庖丁屋(はうちよや)の
浅葱(あさぎ)納簾(のれん)の間(あひだ)から
光る刄物(はもの)のかなしさか。
御寺(おてら)の庭の塀の内(うち)、鳥の尾のよにやはらかな
青い芽をふく蘇鉄(そてつ)をば 立つて見上げたかなしさか。
御堂(おだう)の前の十(とを)の墓、
仏蘭西船(フランスぶね)に斬(き)り入(い)つた
重い科(とが)ゆゑ死んだ人、その思出(おもひで)のかなしさか。
いいえ、それではありませぬ。生れ故郷に来(き)は来(き)たが、
親の無い身は巡礼の さびしい気持になりました。
与謝野晶子の詩に詠まれた樹齢1100年をこえる天然記念物の大蘇鉄が妙国寺にある。織田信長が、その権力を以って、天正7年(1579)、この蘇鉄を安土城に移植させた。しかし、夜ごとに「堺妙国寺に帰ろう」と聞こえてくる声に、信長は激怒して家来に命じ蘇鉄を切りつけたところ、鮮血が切口より流れ、悶絶する蘇鉄の様は、恰も大蛇の如く、さしもの信長も怖れて妙国寺に返した故事がある。そして、幕末の攘夷運動の渦中に興った堺事件の処刑がこの境内でなされた悲しみよりも、物故してこの世にない両親を思い出した寂しい気持ちが伝わってくる。実は帰宅して晶子のことを調べていたらその命日であることが分かった。奇しきことではあるが、妙国寺で、亡き親のことを悲しんだように、この世にない晶子の亡霊が妙国寺に導いたのではないかと、錯覚すら覚えながら晶子の生涯を考える。
『黒猫』と題する晶子の詩を読みながら、のうのうと眠っているわが家の黒猫を眺めている。
押しやれども、またしても膝(ひざ)に上(のぼ)る黒猫。
生きた天鵝絨(びろうど)よ、憎からぬ黒猫の手ざはり。
ねむたげな黒猫の目、その奥から射る野性の力。
どうした機会(はずみ)やら、をりをり、
緑金(りよくこん)に光るわが膝(ひざ)の黒猫。
―今日のわが愛誦短歌
・
ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す
君もコクリコ(雛罌粟)われもコクリコ(雛罌粟) 与謝野晶子
―今日のわが駄句
・わが道を走る青葉の風追いて

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