終日降った大雨が止んでちょっと一服というところである。川が氾濫して一面冠水した地区の報道写真などを見ているとひと昔前にくらべて少なくなったとはいえまだ斯かる風景を見て、梅雨出水(つゆでみず)という昔は常套的にあった現象を思い出してしまった。
水害写真月余経てなほ貼られあり 宮津昭彦
和名で呼ばれている六月は水無月(みなづき」となっているのだが、梅雨も終わって水も涸れるから水無(みな)月というのは如何なものであろうか。あるいは田植えもすんで田ごとに水をたたえているから水月(みなづき)、また田植えも終わって、みなしつくしたからみなづきという説もあるようだが、如何にも農耕民族的な発想の誹りを免れまい。六月を「みなづき」か「ろくがつ」と読むかで、月のもつイメージも自然の風景にも一か月ほどの幅でかなり違った変化を感じさせられる。
六月(みなづき)の地(つち)さへ割(さ)けて照る日にもわが袖乾(ひ)めや君に逢はずして と、
『万葉集』の昔からその用例が使われていたようだ。
水無月のとほき雲けふもとほくあり 川島彷徨子
「国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」と書いたプラカードを掲げて食糧メーデーに参加した男があった。昭和21年(1946)は、食糧難の「米よこせデモ」があり国民の不満が爆発した年であった。元造兵廠で隠匿物資が摘発され3000人の民衆の手で分配された。宮城内に入り「天皇の台所を見せろ。宮城の食物を我々の管理に!」また、首相官邸になだれこんだ民衆が組閣中の吉田茂に会いたいと座りこんだ。緊迫した事態に占領軍司令官マッカーサー元帥は「暴徒のデモ禁止」の声明を出し、天皇は「乏しいのを分かちあって欲しい」と国民に訴えた。食べ物の遺恨で歌舞伎役者の片岡仁左衛門一家5人が惨殺された。食糧入手や就職の世話をすると偽って女性を何人も殺害した小平義雄が逮捕。ヤミ米を口にしなかった山口良忠東京地裁判事が餓死した。そんな食糧不足の時代で、例の「国体はゴジされたぞ・・・」のプラカードの男が不敬罪で起訴されたのが、6月22日であった。現在のデモなどで掲げられているプラカードは、元は門の戸にはられた貼り札であったという。それが檄文の意味に転化されたのは、フランスのフランソワ1世の時代、1534年10月17日の夜、パリの市中はもちろんのこと、宮廷内の王の寝室の扉にまで「枢機官、司教、司祭のウジ虫ども」にはじまって、宗教改革に組する福音主義の立場を述べ、教会の腐敗を痛撃するビラが貼られた有名なプラカード事件で宗教戦争のきっかけになったと言われている。プラカードに書かれた人間の自己主張を見ていると、政治や宗教の訴えより、米よこせなどの切実さを訴える要求ほど辛いものはない。多様な要求に応えるために、大量生産、大量消費の現在の日本の状況を考えると、その為の電力供給を原発に頼ろうとする姿勢に一抹の疑念があるのだが、無駄な飽食を考えると、節電などという目先の綺麗ごとに惑わされてはならないと、食糧不足の昭和21年の状況を振り返ることも必要なのではないかと思う。
六月という水の匂いの満ち溢れる月、水無月、水が涸れて、ひょっとすると食量が枯渇してしまうのではないかとのことを考えたりしている。
白米1升53銭→70円。味噌1貫目2円→40円。醤油1ℓ1円32銭→60円。塩1貫目2円→40円。砂糖1貫目3円75銭→1000円。石けん1個10銭→20円。靴下1足50銭→40円。
―今日のわが愛誦短歌
・
鶏(にわとり)はめしひとなりて病むもあり
さみだれの雨ふりやまなくに 河野裕子
―今日のわが駄句
・天と地の雨に紫陽花濡れいる
あじさゐの花や手鞠の染めかへし 北枝

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