数年前の今頃は…
3月1日の解禁日が待ち切れずに、年明けから熊本のとある川にニジマスを釣りに通っていた。その川は漁業権が設定されておらず、つまり漁協がなくて、地元の有志が資金を集めてニジマスを放流していた。その川は豊かな湧水の川で、ニジマスをそこらの釣堀のものとは似ても似付かぬ野生のレインボートラウトに育てあげていた。
溶岩の川底には程よい砂利が堆積し、豊かな水生植物が繁茂している為に水生昆虫も多く、魚達も大きく育つのだった。ワタシが目撃した最大の個体は虹色を通り越し真っ赤な色をした70cmもあるレインボーだった。ひょっとしたら、そこの川で悠々と育てば1mに達するスティールヘッド(海降型ニジマス)になるのではないかと真剣に思った程だ。
水の流れが複雑で、ライズするニジマスを釣るのにとても高度なテクニックを必要とする。だから、その川に集まる釣り人はベテランが多かった。シーズンオフにその川で鍛えておけば、シーズンに入って、難しいと言われるヤマメを釣ることがいとも簡単に思える程だった。
さて、あとわずかで、そんな渓流釣りが解禁する。
30年も夢中になっていたフライフィッシング。もちろん、今年も何回か行くつもりだ。楽しいだろう。自然の中に我が身を融け込ますことは有意義だ。
でも、今は何かが違う。
それよりも、苦痛に悩む人々に対し自分が出来ることを施すことの方がずっと楽しいと純粋に思う。
フライフィッシングは明らかに今のワタシに、人として、そして治療家としての感性を育ててくれた。だから、あと5年位は仕事最優先で生きていこうと思う。
60才をいくつか過ぎたその頃に、それまでとは違うフライフィッシングを始めるのだ。何が違うのかっていうのは、始めてみないと判らない。でも見当はついている。
使い古したロッド。リール。ベスト。ウエーディングシューズ…。何一つ新しいモノはない。フライさえも今のままかも知れない。そして、もっと古くなった自分がそこに居る。なんて素敵なことだろう!(笑)
そしてワタシは思うだろう。
フライフィッシング? 難しいと思うから難しいのだ。釣ろうと思うから釣れないのだ。 そこに餌を食べようとしているヤマメが居る。ヤマメの気持ちになればいい。ただそれだけのこと。
そしてその時、ワタシはやはり思うのだ。
カイロプラクティックがワタシの感性を育ててくれた。それがフライフィッシングに生きているのだなあと。

0