これだけ長い間ブログを放置していたのは始めてかも知れない。
たぶん、息子の結婚式が終わって人生の大きな部分が一段落したからに違いない。
昨年、娘の結婚式があって、今年は息子。二人の子供が完全独立したということは、私にとって大変大きな意味があるのだと思う。
結婚式の挨拶でよく、「結婚はゴールではなくてスタートである」という言葉が使われる。まことにその通りではあるが、それは同時に自分らの家庭、自分らの人生に総責任を持つことのスタートであると私はかねてより思っている。
今後は何があっても夫婦二人で努力を積み重ねて行くべきだと思うし、親としては一応責任は果たしたと思っている。(もちろん、何かあれば助けるのが親の務め)
私は、自分が大学を卒業してからは親に頼ったことはないし、頼ろうともしなかった。一人前の人間とは、人に頼らず、人の世話が出来る人間であるという信念があるから。
(しかし、人生にはどうしても頼らなければならない時もある。その時、本当に頼りになってくれるかどうかの判断に普段の自分の生き方が問われる)
しかし、誤解して欲しくはないけど、それは親子の愛や情が薄いと言うことではなくて、むしろ、お互いにすごく深い本物の思いやりの上に成り立っているものである。
幸いなるかな、二人の子供達は大学を卒業してから、自分の意思で就職先を探し、自分の意思で伴侶を見つけ、自分達で貯めたお金で盛大な結婚式を挙げ、大勢の人々に祝福して頂いた。
人生に輪廻があるとすれば、それは生命の輪廻ではなくて、人生観の輪廻であろうと思う。
親の人生の一部を見てきた自分。
自分の人生の一部を見てきている子供。
子供達の人生を見届けていく自分。
子供達がいつか思うであろう親のこと。先祖のこと。
そこには、脈々と伝わる同じDNAの人生観があるのではないだろうか?
年老いても子供達の世話になりたくないと思い行動する人生であれば、子供達は喜んで面倒見ようとする。
逆に、年老いたら子供に面倒かけるのが当たり前、それだけのことをしてきたんだから、という考えだと、いざとなれば子供達は施設に放り込んで世話をしようとしないケースが多い。(いや、例え、したとしてもそこに何物にも代え難い本物の愛があるだろうか?)
それも人生観の輪廻だと言えないだろうか?
さて、来年の初夏には連続で孫が出来る予定。
あれもしてやりたい、これもしてやりたいと思い浮かべながら
猫を抱く毎日。
「おお、・・ちゃん、可愛いなあ!」
猫で孫を抱く練習するなんて、生まれ来る孫も幸せもんというもんだ。(笑)
今からでも遅くない
長い間、痛みで苦しんでいる人も
すぐ目の前に必ず希望が見えてくる
根本原因を正す
快方の森カイロプラクティック院

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