特に姶良カルデラは日本全土に大量の降灰をもたらしたことで名高く、鹿児島県では60m、関東平野でも10cmの降灰があったと言われている。当時西日本に生きていた動植物にとっては壊滅的な災害となったはずである。現在、鹿児島各地で見られる「シラス」と呼ばれる白い火山灰層はこの時に堆積してできたものだ。
桜島の地質図を広げると、噴火の規模の大きかった文明(1471年)・安永(1779年)・大正(1914年)の3回と、直近の昭和(1946年)の噴火で溶岩が流れた様子がよくわかる。特に大正と昭和の溶岩流のあとは、島の外周道路や展望所からも容易に見学することができ、溶岩がうごめいた姿や、植生の回復の進度など、見るべきポイントも多い。
http://geo-scape.com/sakurajima/
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Rfunka/1596.html
1596年 8月22日京都市伏見区にある醍醐寺の当時の座主であった義演の著した『義演准后日記』によれば,文禄五年六月二十七日の正午から,京都で土器の粉のようなものが雨のように四方を曇らせて降り始め,草木に積もって大地は霜の朝のように白くなった.降り積もった灰は少なくとも二日後まで観察できた.当時の公卿たちの日記である『舜旧記』や『孝亮宿禰日次記』にも同様の降灰記録がある.また,宣教師たちの記録によれば,この灰は大阪と堺にも降り,降灰時に空は日食時のように暗くなり,京都と伏見の降灰は終日続いたという.
1779年の安永桜島噴火の火山灰が奈良県や長野県に降った事実が知られているように,九州の火山の大噴火による灰が,偏西風の影響で遠く東方に運ばれることもある.1596年に近い時期には,霧島(1596,1598〜1600年)と阿蘇(1592,1598年)の噴火記録が知られている.しかしながら,これらの火山の異常を記述した史料はいずれも18世紀以降に成立したものであり,噴火の存在そのものに検討の余地があるし,該当しそうな噴火堆積物も知られていない.

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