Bem vindos ao site da Fadista Kumiko               Kumiko Tsumori                                                                               em Português

2009/1/30

Obrigada,minha tia.  2009年リスボン日記

RTPの取材撮影2日目は寮で行った。ちょうど仲良しのスペイン人の寮生たちがいたので、彼らと昼食をとるところを撮影した。生まれて初めてという日本のうどんを彼らは喜んでくれた。ラーラがマドリッドに帰っていて一緒じゃなかったのが少し残念だった。

夜、パテオではまた別の取材を受けた。一番最初に取材を受けた「Expresso」の影響力に驚かされた。友人のポルトガル人が「これからどんどん取材申し込みがくるよ」と言っていたけど、本当にこんなに取材が続くなんて思いもよらなかった。それと同時に、このパテオというお店の社会的信頼性も充分うかがえた。記者の方は偶然にもバレットさんのお友達だったので、事前に私のことは聞いていたそうだ。今日はバレットさんもテーブルについて一緒に取材を行ったので、とてもリラックスして話をすることができた。バレットさんとこんな風に関われることも嬉しい。

どの取材でも「ファドとの出会い」「センティメントをどう感じるか」「私にとってのファドとは」という質問を必ず受ける。そして、言葉にして答えることで、私とファドがもう切っても切り離せない事を実感してきた。歌詞で言っていることが、どんどん実現化していることに驚いているし、ファドと出会えたことで私の人生はどれだけ豊になったことか、と感じてならない。

私が今こんなにもファドと人生を共にできているのは、いろいろな出会いがあったからに他ならないし、それは時を経ても続いている。

お店の営業が終った深夜、ドナ・リナが「ちょっと話があるの」と誰もいない部屋に私を連れて行った。イスに座り「マリア・ベンタのことよ」と話を切り出した彼女の目は涙ぐんでいた。マリア・ベンタさんというのは、私が初めてポルトガルに来たときに、ファドの歌い方や情熱・愛情、そして魂を真正面から注いでくれたファディスタだ。『叔母と呼びなさい』とも言ってくれた人だ。残念ながら数年前に他界してしまった。ドナ・リナとも大の仲良しだった。

「彼女の使っていたアクセサリーや色々な物は、親しかった人たちに譲り渡されたの。私もいくつか譲り受けたわ。」とブレスレットを私に見せてくれた。「もし必要なければ売ってお金に換えてくれても構わないとご家族から言われているの。でも、私はお金に換えたいなんて思わないし、アクセサリー類はいっぱい持っているから、私、決めたの。あなたにあげる。あなたにあげるのが一番いいと思うの。」そう言って、小さな箱を二つ取り出した。三連の指輪とドナ・リナと同じブレスレットだった。はめてくれた指輪は私にぴったりだった。ブレスレットをつけてもらうと、2人で抱き合ってちょっと泣いた。

「これで歌うときは彼女と一緒。」と私が言うとドナ・リナは私の頬にキスしてくれた。「それに、今でも彼女は私の心の中で生きているよ。」と続けると「もちろん、みんなの中に生きているわ」とうなづいてくれた。
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ありがとう、ベンタさん。大事にするね。



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