これは、1983年8月29日に日本テレビ系の“24時間テレビ”でスペシャルドラマとして放映されたものです。横浜情報文化センターにある放送ライブラリーでいつでも視聴できます。それで、記事カテゴリーは期間限定の“映画”や“テレビ”でなく、いつでも視聴できる“DVD/ビデオ”。
監督:真船 禎 脚本:高橋玄洋(原作:井伏鱒二)
カメラ:飯山孫八 他 音楽:宮川 泰 美術:川端淳朗 他
ドラマの始まりは、皇太子(今の天皇)が結婚した頃、えっと昭和34年か?広島で被爆した元中学校校長・閑間重松(森繁久弥)が“被爆日誌”を整理・清書しながら、昭和20年8月6日以来、姪で養女の矢須子(中井貴恵)の身に起こったことを回顧する形でドラマは進みます。矢須子は、原爆投下の瞬間、広島にいなかったのですが、原爆症で余命いくばくも無い・・・
矢須子が元気だった頃、そして、重松の妻シゲ子(奈良岡朋子)も生きていた頃、矢須子に縁談が持ち上がっては破談になっていました。原因は、矢須子は広島第二中学で働いていて原爆にあったといううわさです。重松は、矢須子は当時古江町に行っていたので原爆にあってないと否定してまわるのですが、それでもダメ。
昭和25年の夏祭り。矢須子は、吉舎町の役場に勤める桜井(小倉一郎)と出会います。桜井は、矢須子のうわさは承知の上で結婚を申し込み、重松夫妻も嫁に出すことを承知します。ところが、桜井は親戚の反対に抗しきれず破談。激怒する重松。倒れるシゲ子。シゲ子はそれから5年後、他界。(チェルノブイリ原発事故もそうだけれど、放射線被曝の影響は何年も経って出てくるんだ。)
昭和30年夏。矢須子は結婚することもなく、重松と暮らしています。重松は、ある日、タバコを買いにゆくといって外出します。それが、角のタバコ屋ではなくて、タバコ畑。タバコ栽培する青年・藤原はるひこ(本田博太郎)を訪ねていったのです。彼も広島で原爆にあっていました。重松は、彼に何故嫁をもらわないのかと問います。
一ヵ月後、藤原は閑間家にやってきます。藤原は、矢須子の写真をすでに重松に返却しており、矢須子と結婚する気はないといいます。藤原は、淡々と、この10年間悩み呪い地団駄を踏んできたと語りますが、原爆は天災ではなく自分たちは戦争をしていたのだともいいます。そして、重松を先生と呼び、重松は戦争を止めなかった、むしろ焚きつけたといいます。藤原は、戦争中、重松が校長をしていた中学の生徒だったのです。「責めているのではありません」といい、「愛していた人間は、皆原爆で死んだ」といって去っていきます。その藤原が、昭和31年の春先に亡くなったことは、重松の語りで伝えられます。
昭和20年8月6日、広島の朝。重松は横川の駅で、シゲ子は千田町の自宅で原爆にあいます。矢須子は、原爆投下時、荷物疎開で古江町に行っていました。しかし、そこで広島の町の上にきのこ雲を見、養父母の身を案じて原爆直後の広島に戻ってきたのでした。そのとき黒い雨―放射性降下物で真っ黒な雨―を浴びたのです。
原爆の閃光や爆風、重松が見たその後の惨状など、真に迫って(きのこ雲はホンモノだけど)表現されています。
ドラマは、被爆日誌の清書を終えて署名する重松の姿で終わりますが、その後にモデルとなった重松静馬氏と養女矢須子さんの没年が表示され、静馬氏の妻、重松シゲ子さんの朗読があります。
出演は他に、梶田医師:下元勉 矢須子の縁談を断りに来た人物・村越:宮口精二 矢須子の友人(名前忘れた):畑中葉子 など
藤原青年役の博太郎さんは、静謐な表情が印象的。過酷な運命を受容して淡々と語る様子は・・・『黒いバッグの女』(2006.01.05 テレビ朝日)の芹沢=本田大輔クンみたいな感じかな。逆です、大輔クンが『黒い雨』の博太郎さんに似てるというべきですネ。

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