『徳川家康』第40回 関ヶ原
放送日:1983年10月9日
演出:大原 誠 脚本:小山内美江子(原作:山岡荘八)
NHK大河ドラマ徳川家康 完全版 第6巻 GNBD-7273
慶長5年(1600年)9月15日。
出演者が大勢で徳川家康(滝田栄)、石田三成(鹿賀丈史)以外は、ほとんどワンシーンだけか、数シーン登場の場合も極々短い顔見せ。顔見せといってもカブトなんぞ被っちゃってるから誰が誰だかよくわかりません。(もともと知らない人多いしネ)
そのかわり、鎧武者も雑兵も馬も火縄銃もふんだんに出てきます。乱戦の中、槍先に人を引っ掛けて振り回すような猛者もいるのだよ。
合戦の場面はとにかく人数の多いが一番です。合戦でなくとも、群衆シーンは半端ではいけません。・・・『大帝の剣』は独鈷杵発掘現場の人数が少々寂しかったなぁ。寒い時期のロケでエキストラが集まらなかったんだろうか?
閑話休題

小早川秀秋(堀内正美)は“泥と泥のあらそい”と見下げていましたが、一応、家康はこの戦を私利私欲や私情によるものではなく、世の人々の泰平を願う気持ちに立ったもの、自ら省みて“厭離穢土欣求浄土”の旗印に恥じぬものと思い定めたのです。一方、三成はどうやら個人的情念でこの戦に毛利輝元(御木本伸介)をはじめとする諸将を巻き込んだようです。まぁ、家康の東軍の中にも三成に対する私的な憎悪を抱いて参戦している武将もあるワケですが・・・
関ヶ原に臨んで、東軍は中央突破の魚鱗の陣。家康の本陣も桃配山を出て関ヶ原に移ります。対する西軍は鶴翼の陣とかいわれますが、この『徳川家康』では東軍を包囲する形勢といっています。
本多正純(本田博太郎)が顔を出すのは、ほとんど本陣の家康のかたわらです。家康とのやり取りは、主として南宮山や松尾山の動きについて。南宮山には毛利勢、松尾山には小早川秀秋(堀内正美)が布陣おり、これは家康包囲網の入り口と出口、蓋と底にあたります。家康は、この蓋と底に内々に働きかけていたので、その様子を本多正純に尋ねているのです。
『黄金の日々』の家康=児玉清も『葵・徳川三代』の家康=津川雅彦も、いらいらジリジリして爪を噛むしぐさを見せますが、滝田栄の家康はそういうしぐさをほとんどしません。しかし、昼近くなっても小早川秀秋が松尾山山頂に腰を据えたまま動かないので、滝田・家康もさすがにジレて爪を噛み噛み(手袋してるけど)、正純に
「山のこせがれに筒先向けて、イテコマセ!」・・・イテコマセって言ってる様に聞こえるけど、家康?正純は待ってましたと「承知!」
関ヶ原の戦いの結末はどちら様もご承知のとおり。
戦の終わった戦場での家康は、井伊直政(平泉征)や松平忠吉(冨家規政)の手傷に自ら薬を塗ってやったり、とてもやさしい。それを正純が“ウチのボスはすばらしー”と見守っている。生きて捕らえられた三成を家康の前に連れてくるのも本多正純。客でも部下でも捕われ人でも誰かが家康に会うときにはカタワラには正純。
しかし、大坂城に入り論功行賞・配置転換を始めると家康は尊大・・・このときも、正純は父・正信(内藤武敏)とともにその場にいる。
こんな具合に本多正純はちょくちょく出てくるのですが、あまりまともなセリフはないなぁ。
この回、面白いのは
敗戦が明らかになった関ヶ原での島津義弘(田崎潤)。家康の陣への切込みを決めるが、首を傾げつつワザワザ討ち死にすることはないと皆に命令。とぼけた首のかしげ具合が絶妙。そして、島津勢は、家康の陣を中央突破して戦線離脱。
関ヶ原で敗れた三成をかくまい、落ちのびさせようとする村人役は誰だろう?消去法では冷泉公裕のようだけど、いい感じ。
萬田久子が納屋蕉庵(石坂浩二)の孫娘・おみつ役で登場。最近は、さっぱりと垢抜けした遣り手のおこう(テレビ東京系『お江戸吉原事件帖』)など演じていますが、1983年のおみつは、ちょっと野暮ったくてかわいい。ついでに書いておくと、淀君役の夏目雅子というのは抜群にろうたけた美女。若くして亡くなったのは、もったいない。石田三成を愛した女、お袖役の神崎愛は、なにか野放図な感じのする体つきだけど見慣れるとクセになりそう。

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