“徳川家康”と“本田博太郎”のキーワードなら、今話題にすべきは“本多正純”ではなくて“石川数正”だろうって?
そーですねー。博太郎さんは
来る3月15日21:00 テレビ朝日系 『徳川家康と三人の女』
に石川数正役でお出ましですね。(石川数正という情報は
片岡鶴太郎のブログで)
『徳川家康と三人の女』公式サイト
http://www.tv-asahi.co.jp/ieyasu/
このドラマの家康の理念は「女子の苦しまぬ世をつくる」と紹介されていますが、それは、1983年の大河ドラマ『徳川家康』でも、大坂夏の陣の終結に際し家康は、この争いは徳川と浪人の争いではなく、戦でカタを付ける戦国の世界観・価値観と泰平を求め争いを避ける女性的世界観・価値観の争いであって、おなごが勝利したのだ述懐しています。女性3人の会談に夏の陣の決着を任せたのですから。
それはそれ、今夜は
『徳川家康』第49回 落城
放送日:1983年12月11日 NHK大河ドラマ GNBD-7274
演出:加藤郁雄 脚本:小山内美江子(原作:山岡荘八)
落城といえば、もちろん大坂城落城。
思惑ハズレや手違い続出で、家康(滝田栄)の心からの願いにもかかわらず、淀君(夏目雅子)と豊臣秀頼(利重剛)を助けることができなかったという顛末。
家康は、大坂城攻めを将軍・秀忠(勝野洋)にまかせます。これが手違いの根源かも。
最初の思惑ハズレは、真田幸村(若林豪)。抜け駆け気味に家康の孫・松平忠直(阪本良介)の一隊が先陣をきってしまい本多勢(この部分に正純は姿を見せません)もこれにつづきドドッと大坂城めがけて殺到したんで、様子を見て一気に家康の本陣に突入という幸村の計画が狂った。幸村は、家康の周囲が手薄になった機をのがさず肉薄するんだけど、彼の信条―戦はなくならない・戦がすべて―に殉じて討ち死。家康本陣に向かって疾駆する幸村の表情が迫力。
まもなく、大坂城内にまで東軍が侵入し三の丸、二の丸と火をかける。本丸にも火の手が上がり、秀頼、淀君らは芦田曲輪うらの籾倉へ。
千姫(石原真理子)が大坂城を逃れでたのも、秀頼、淀君を助けようとする奥原信十郎(井川比佐志)にとっては大誤算。彼自身も、秀頼たちが落ち延びる水路を見に行って残党狩りに巻き込まれ大事のときに籾倉に帰れなかったのも大誤算。
敗戦の大坂方に対する秀忠の家臣の対応も家康にとっては、勘違い手違いそのもの。自ら、秀頼たちを迎えに行こうとした家康が、大坂城・桜御門で聞いたものは城に撃ちかけられる銃声。あれは何だと正純に尋ねる。やっと、本多正純(本田博太郎)登場。
「銃声のようにござりましたが」・・・ちょっとお間抜け?家康でなくても、そんなことわかっとるワ!家康に急きたてられて、正純は様子を見に走ります。
そのころ籾倉に逃れた人々は自害して果ててしまいます。淀君の夏目雅子が、ちゃんと秀頼の母親に見えるくらい威厳がある。別に老けメイクしてるワケではないのですが、演技力でしょうか。
桜御門の家康は銃声を聞きながら、秀頼たちが死に追いやられたことを直感します。家康の怒りと無念の表情がすさまじい。ホント、すごい。滝田栄は1950年12月5日生まれだから、撮影時は33歳になっていなかったはずですが、年老いた家康として怒りや悲しみを見事に演じています。
すべてが終わった籾倉の入り口で正純は呆然。正純は、あまり感情表現のない役のようだけれど、このシーンの立ち尽くす正純には無念さが滲みます。おそらく、大坂夏の陣の頃には、家康の考えや願いの一部でも理解するのは、正純くらいになっていたのかも・・・あとは、柳生宗矩(夏木陽介)かな。
秀忠にもあわず、二條城に引き上げてしまった家康は、茶阿局(武原英子)相手に涙するのでありました。DVD『徳川家康』はあと一回。

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