博太郎さんの死に演技、殺され演技はすばらしい。時には何の愛想もなくあっさり死んでしまうこともありますが、そういうときにはひどく損をしたようなガッカリした気分になるものです。そりゃネ、ドラマ上、視聴者が死に演技に惹きつけられて本筋がぶっ飛ぶのも困るってのもあるから。
今、ウチの掲示板で少々話題になっているドラマ『断絶』(テレビ朝日 2009.10.03)。私設秘書・椎名の縊れ死には、原作ではそのことが剱持代議士に知らされ葬式になるだけですが、ドラマでは、博太郎さん演ずる椎名のそのシーンは、ほとんどこのドラマの山場といえるようなシーンになっています。これが山場というのは、ま、ファンの僻目かも。
ドラマ『断絶』の椎名は、とても硬い表情・・・というより、皮膚そのものが汗さえにじまない硬い渋紙のような感じを受けます。その硬い皮膚の下にすべて押しこんだ秘書だからこそ、押さえつけたホースからやっと漏れて細く噴き出す水のようなひそやかな万歳。スバラシイ!
代議士のために自殺する秘書の心持というのは、私のようなものにはまるっきり理解の外ですが、『断絶』の椎名の自殺の場合、剱持の息子・一郎、ひいては剱持代議士自身を守り切れなかったお詫びあるいは自分自身を罰することなのかなぁ?
それは兎も角、博太郎さんの椎名の押し殺した小声の万歳三唱には驚きました。
自殺というのは、自分自身に向けられた攻撃、内攻する殺意の果という見方ができますが、自分を殺してしまうまで内に向かうエネルギーというのを演技で具現化するとすれば、こういうやり方もあるのかと思いました。もっとも、声高らかに万歳三唱やってのけたら、戯画化された神風特攻隊ですからね。悪い冗談にしかならない。
首吊りといえば、もうひとつ、『砦なき者』(テレビ朝日開局45周年記念ドラマスペシャル 2004.04.02)の八尋大樹。
これは、ホントにぶら下がっちゃったんだ!という驚きが第一番。演じ方がどうとかでなく・・・
八尋大樹の場合、屈辱に耐えきれないから死んでしまおうとしたんだけど、死にきれなくて足場にしたバケツを踏みならし大声で息子を呼び寄せる。息子が後から語るように、大樹は全然死にたくなかったのかもしれない。大体、抗議の自殺というのは、そういうものなんだろう。本当は、外に向けるべき攻撃を何かの事情で(たぶん意気地がないとか)で自分に向けてしまったもの。
ぶら下がってしまった大樹=博太郎さんのアップまであるんですが、その顔は驚きあわてているようにも見えます。やっぱ覚悟しきれてなかったんだ・・・
首吊りじゃない自殺というと・・・
『嫌われ松子の一生』(東宝 2006.05.27)の2時間ドラマの犯人役という役。片平なぎさに追いつめられて崖っぷちから飛んでしまう。映画の中のテレビに映ってるドラマじゃなくて、ホントの2時間ドラマだったらあれだけでは物足りないと思うかも・・・
時代劇は、何かというとあっさり腹を切ったり首に刃をあてたりするので、この際パスですが、『剣客商売 SP 助太刀』の成瀬喜右衛門の自栽のシーンがなかったのが残念。

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