『武蔵 MUSASHI 第17回 おのれの道!』
放送日:2003年4月27日 NHK 大河ドラマ
演出:尾崎充信 脚本:鎌田敏夫(原作:吉川英治『宮本武蔵』)
新之助だったころの市川海老蔵 vs 本田博太郎。
廻国修行中の宮本武蔵(市川新之助) vs 田口玄竜(本田博太郎)。
『武蔵 MUSASHI』のこのあたりの重要なキーフレーズは「ひととおのれとは対になっている」とか「人は一人では生きられない」・・・だと思う。全編にわたってそう言えるかどうかは、わかりません、何しろ、まともに見たのが、お篠(宮沢りえ)とともに逃避行を続けていた原田休雪(遠藤憲一)が死んでしまうところまでなので。
第16回の“伊達の刺客!”で、武蔵は、お篠・休雪という屈折したカップルのやはり「ひとはひとと対になっている」哀しさ愛しさを目の当たりにします。
で、第17回“おのれの道!”。ただひとり道を行く武蔵が中山道福島の関の下で出会うのが田口玄竜。この人も、人は一人では生きられない哀しみの体現者。
田口玄竜は知る人ぞ知る、言い換えればフツーの人は知らない剣豪。武蔵が子供のころは有名だったらしくて、名前を聞いて、飛んでるハエを小太刀で斬り落とした男、目を閉じたままで敵を倒す田口玄竜と目を輝かせる。
田口玄竜、ほんのはじめだけ、武蔵が「あの田口玄竜殿ですか!」と聞き返したときだけちょっと嬉しそうな顔をするけれど、「子供のころ聞いたことがある」あたりでもう表情をくもらせる。
田口玄竜は、いうなれば
こんな会社にいられるかと辞めてしまって、円満退社じゃないせいもあって次の就職口が得られず、とうとう妻子に愛想を尽かされて・・・といった状態なのだよ。
で、どこかに仕官したくてしょうがない。それで、福島の関近くで関所破りを捕まえて何とか仕官の手づるにしようというわけ。
しかし、福島の関の代官・山村良勝(早坂直家)も尾張松平家家臣・山田助左衛門(笹野高史)も、京で吉岡一門を倒したことで名を上げた宮本武蔵には反応しても、田口玄竜などほとんど眼中にない。
それでも、山田助左衛門は武蔵と玄竜二人とも伴って清州へ向かいます。尾張の殿様というのも困った人で、清州までの道中のどこかで二人が立ち会って勝ち残ったほうを300石で召抱えるのだと!そもそも戦乱がおさまってしまったので、剣豪を何人も召抱える時世じゃないのですね。
そう!今や、武芸は山田助左衛門いわく「見世物じゃよ〜」。ハエが斬れるのかと嘲られて、運悪く通りかかったハエを斬ってみせる玄竜。ハエ斬りの呼吸をはかる玄竜の表情の静謐さ。斬った後、玄竜の上唇が震えているのは怒りのためか哀しみのためか?
どうしても仕官したい玄竜は・・・
暗闇の中で人を斬る修行について静かに語ります。それで、どうしても仕官したいと武蔵に対して刀を構える。
武蔵は、それまで玄竜に敬意を払っていたのですが、武芸者としての誇りを捨てた玄竜にガラッと言葉の調子が変わりますね。
刀を交えてあっという間に武蔵の刀が玄竜の首筋に。玄竜の表情は凄いです。凄くて卑しくて悲しい。とってもとっても凄まじいです。
このドラマの“目”の撮り方がいいのかな?いろいろなシーンで武蔵の目も非常に印象的です。口上で「吉例により、ひとつにらんでご覧にいれまする」とやる市川家だから“にらみ”は得意芸かもしれない。
雨の中を出てゆく武蔵と呼びとめた玄竜のやりとりも凄い。
蓑ほしさにおのれの道は捨てない、たった一人で雨にうたれてゆくという武蔵 vs 自分のためだけではなく妻や子のためにも蓑がいる玄竜。ここまでは、いいんだけど、「武蔵が逃げた!」と泣きわめく玄竜は見ているのがちとツライ。
京の本阿弥光悦(津川雅彦・・・この回は出演してません)のもとにいたお通(米倉涼子)も何だか煮詰まってしまっていましたが、最後に、「私は一人で生きてきたのではない」と武蔵に言わなければならないと旅立ちます。
・・・けど、あまりスカッとしないナ。

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