サスペンス・ドラマで時々ありますよね、
同じ新聞なのにある記事が載ってたり載ってなかったりして、その内容をを知ってるとか知らないとかで、アリバイが成立するとかしないとか、ある行動のワケが分かったり分からなかったりとか。
1979年2月26日付朝日新聞(東京版)朝刊社会面には
“再び「群衆の一人」に ういういしい印象残し”という見出しの記事が載っています。27日から平幹二朗が復帰し、代役の本田博太郎は“再び「群衆の一人」に”戻るというニュアンスの記事です。・・・帝劇公演『近松心中物語』代役の記事。
しかし、東京版の朝日新聞のようですが、2月26日にはその記事が載ってない新聞があります。かわりに、次の日、2月27日朝刊に“ういういしさで好演 新人仲間の激励を背に”という見出しの記事が載っていました。こっちは、当面、平幹二朗の復帰はなく代役が続きそうな感じ。
2月26日に“再び「群衆の一人」に ういういしい印象残し”の記事が載っていたのは、最終版。もうひとつの“ういういしさで好演 新人仲間の激励を背に”の記事は、関東地方の周辺部〜隣接の他地方(東北南部とか)に宅配された朝日新聞のようです。実際、博太郎さんは千秋楽の3月8日まで忠兵衛役を務めたので、こっちのほうが正しい。平幹二朗が復帰しそうというニュースは26日最終版の締め切りには間に合っちゃったんですね。しかし、その後、やっぱりダメということがわかって、26日に記事が載らなかった版のほうには、27日に少々変更した記事が載せられた。そういうことのようです。
では、2月26日に平幹二朗ファンをぬか喜びさせるような記事を載せた最終版のそのあとのフォローはどうしたのか?
2月27日朝刊社会面に、“東宝側の話では、3月8日の千秋楽まで本田さん主演でいく公算が強い”という記事を載せています。
いくつかの新聞(具体的には朝日、毎日、讀賣ですが)の中では、この『近松心中物語』公演をよく取り上げていたのは朝日新聞です。上記の記事のほかに、2月23日朝刊に平幹二朗休演の記事を載せていますが、同じ日の夕刊に舞台の評が載っています。このまま終わってしまうとまずいとか思ってあわてて載せたんでしょうか?アタシャ、そう勘繰る。
毎日新聞は、1979年2月24日の夕刊に演劇評を載せており、そのわきに簡潔で要を得た平幹二朗休演の記事。払い戻しOK、他日への振り替えにも応じるということ。(チケット払い戻しは、週刊平凡1979年3月8日号によれば22−23日で約900万円。23日は昼の部休演を知らずにやってきた客に通し稽古を見せたとか)
ずいぶんあっさりしていますが、3月3日夕刊のごらく面“ぷりずむ”というコラムで代役を取り上げて、“本田博太郎の抜擢は近ごろの快事”と誉めています。
讀賣新聞はぜんぜん取り上げてないかと思ったら・・・3月3日夕刊芸能面に平幹二朗ではなく本田博太郎主演の『近松心中物語』に対する演劇評。写真付き。“・・・ここ1週間ほど忠兵衛を無名の本田博太郎が代わっている。見直したが芝居の質にマイナスはなかった。”一応、誉めてるんだろうな。“見直したが”とあるのは平幹二朗が休演して何日も経ってしまったから、再び公演を見て評を書きなおしたのかな?いずれにしても、何日もたってしまったおかげで、本田博太郎と太地喜和子の舞台の写真が載ってるわけでヨカッタヨカッタ。

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