現代短歌の閨秀歌人、葛原妙子の散文に「さくらの木の猫」がある。「いつの間にかどこもかしこもふわふわと真っ白になり、目はうすく青、腰はどっしりと落ち着き、たいそうな貫禄となった」野良猫のことが描かれている。
「猫はしいんとして外を眺める。
女主人は久しぶりで愛撫の念に駆られ、忍び足で猫のうしろに
近づき、軽いいたずら心からちょっと片耳の先をつまんだので
ある。
がりり!右手の小指がくだけたような音がしたのはその時で、
猫は素早く逃げた。
指からはポタポタと血が垂れた。」
指を噛まれたのは、この作者であるのだが、指を噛んだ猫に、実は葛原妙子本人がダブっているやに見える。
わが家には、昨年五月に、鳩を追いかけたまま、逐電した猫がいる。溺れるものは藁をも掴む思いの時、百人一首の一首「たち別れ いなばの山の 峰に生(お)ふる まつとし聞かば いま帰り来む 中納言在原行平」の和歌を三度となえると、猫が行方不明になったとき、無事にもどってくるという言い伝えがあると知った(久保田正文『百人一首の世界』)。だが、門口にその和歌を貼り、帰り来るを鶴首して待つも、杳として行方は分からずのままである。
その間、老いさらばえた黒猫と、気の弱い赤虎の牡猫二匹がいつの間にか、居着いてしまった。ここ数日来の厳しい寒のもどりに体調を崩したのか、二匹ともぐったりして、食欲なく、嘔吐を繰り返す状態が続き、獣医院の診断を受けたところ、恐らく、ノイローゼとのことで、吐き気止めの薬を渡される。野良猫が家猫化して、環境が急変、体調が不順になったのではないかと考える。
それにしても、家猫から野を徘徊の日々を送る、かの猫のことを思うと、いま、如何ばかりかと、案じる。鬼の撹乱に非ず、猫の撹乱をじっと、見守る。
―今日のわが愛誦短歌
・冬たちし野わたる時に半白の影もちて鋭(と)し人も林も
安永蕗子
―今日のわが駄句
・傾きし余寒の月下猫走る

21