春節二日目、朝からの雨に街は、暗く咽んでいる、月曜日である。あと半年で、あの十五年戦争が終る、昭和20年の月日を想い起こす。偶々、清沢洌『暗黒日記』を紐解いていると、2月15日の項に、フィリピンから帰国したアメリカ生まれの二世瀧本松蔵明大教授の話として以下のように載っている。
「1、比島では、比島人がほとんど皆な米国側について居り、ゲリラが非常に多い。女まで日本を敵と考えている。2、原因は、少数知識階級は、どうせ米国が勝つから、日本に味方すると、その内にひどい目にあう事、また民衆から迫害されるからにある。3、しかし、もっと有力な理由は日本の兵隊がひどいことをやる。比島人を、よく平手で叩く。彼等は顔を平手で叩かれることはいかなる屈辱よりもひどいと考えるのである。そして、それが親類友人に伝わる。そればかりでなく、日本人は比島人を私刑に処する。すなわち比島人を木に結びつけて、下から火をたいたり、水をうちかけたりして悶死させる。しかもこれを白昼、多数の面前で行うのである。これが反感を持たれない訳はない。4、マニラ・ホテルの食堂などで、姿を整えているものは中立国の外交官と、ホテルの支配人と、私と、給仕だけだ。日本人は、足を出して、足の毛を、むしりながら食っている。こういう連中を彼等は初めてみたのである。・・・」
8月15日の終戦をみず5月にこの世を去る清沢洌のレクイエムと聞こえる。
昭和8年、満州事変、上海事変へと続く日本の軍部が暴走しだしたころ、わが子が中国人を観て「あの人たちと戦争をするのでしょう。」と問いかけたのに驚き、「お前がこの国に生れた以上は、国家を愛するに決まっている。が、お前の考えるように考えなくても、この国を愛する者が沢山いることだけは認めるようになってくれ。・・・」(『非常日本への考え』ー清沢洌評論集より)と、このリベラリストは書き遺している。
昭和20年3月3日米軍マニラ完全占領以後の戦況をみると、3月10日東京、13日大阪大空襲。17日硫黄島守備隊玉砕。4月1日米軍、沖縄に上陸。5月2日連合軍、ミンダナオ島のダバオ攻略、英印軍、ラングーン占領。6月8日御前会議、本土決戦の方針を確認。8月6日広島、9日長崎に原子爆弾投下。ソ連宣戦布告、滿州に進攻。8月15日ポツダム宣言受諾無条件降伏する。ああ、この半年の間に、何百万人の日本人の命が消え去ったことだろうか。と、胸が痛む。昨日、春節での爆竹音が、爆弾音にならぬことを祈りたい。『暗黒日記』ならぬ『明朗日記』を残したいものだ。
―今日のわが愛誦短歌
・マッチ擦るつかの間海に霧深し
身捨つるほどの祖国はありや
寺山修司
―今日のわが駄句
・百千鳥か弱き声も交りをり


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