プロ野球セ・リーグのペナントレースは、昨日、中日ドラゴンスのリーグ優勝が決まった。狛犬ならぬ虎犬の石造物があり、その筋のトラファンの篤信家(とくしんか)の崇敬の的(まと)になっている場所がある、と以前から噂にはきいていたのだが、これを機にそれがある天王寺区夕陽ケ丘の大江神社に出掛ける。境内の北の一隅にその石造物が鎮座していた。なるほど、沢山のトラのメガホンに取り囲まれているので、簡単にその場所がわかった。近づいて驚いたことに、勝手に、虎犬の由緒書などが貼られていて、誰が書いたのかごもっともらし能書が並べられていた。Wikipediaからその辺のことを調べると以下の如き説明がなされていたので紹介することにする。「当神社には狛虎というものがある。狛虎の由来は不詳であるが、300年以上前の作と考えられている。その昔、狛虎の奥に毘沙門天を祀る堂があり、虎は毘沙門天を護るとされている。狛虎は元々は阿吽で1対をなしていたが、吽形の方が明治初期に某寺に持ち出されてしまったと言われている。現在の吽形は2003年に再建されたものである。狛虎には阪神タイガースのファンより、メガホン、虎の小さい置物やぬいぐるみなどが供えられていることがある。また、狛虎付近には阪神タイガースの優勝を祈願する張り紙や木札がある」とある。
さて、「狛虎会」と称する「狛虎由来記」なる張り紙の文言が楽しいので書き写しておいた。「古来より鎮座する狛虎の由来は戦火によって全ての資料を失い不明である。石像の風化状態から三〇〇年以上の作と推測されている。伝承によれば明治元年(1868)の頃、神仏分離令の折、阿吽一対の内、吽形(メス)が滋賀の某寺へ持ち出されたとされるが今もって不明である。古来より虎は毘沙門天を護る役目を荷負っていた。その昔、この狛虎の奥の空地には毘沙門天を祀る堂があった。残された阿形(オス)は戦火によってかなり傷ついているが威厳の衰えは無い。古代、神社のすぐ下迄が海で夕陽が美しいことで知られている。この境内には芭蕉の句碑がありすぐ近くには新古今集の選者藤原家隆も眠っている文化的景勝の地である。二〇〇二年、阪神タイガースの救世主として星野仙一氏が迎えられたのを機に一人のファンが勝利祈願を狛虎に托した。一年目四位、二年目には破竹の勢いで進むのをみて、氏子より吽形建立のはなしが持ち上がり即決定された。
二ヶ月を掛け造られた吽形は二〇〇三年八月三十一日には入魂除幕式がとり行われた。実に百三十年ぶりの御輿入れである。通常吽形には角があるが二十一世紀の狛虎にはそれが排除されている。新しい思想である。これより一対になった阿吽の狛虎は未来永劫大阪の地と阪神タイガースの守護神として慈光を照らし続けるであろう。二〇〇三年九月十五日、十八年ぶりの優勝が決定した。 二〇〇三年九月吉日」
『夕陽丘』の石碑の傍に芭蕉の「あかあかとひはつれなくも秋の風」の四角柱の一面に彫られた句碑があるが、他の三面には「よる夜中見ても桜は起きて居る 三津人」「網の子の名にやあるらん社宇(ほととぎす)三津人家父千松」「春風の夜は嵐に敷れけり 曉台」とあるが、芭蕉の秋の句に比べて春、夏、春と理解し難い凡句の配列であるが、芭蕉の句の引き立て役になっている。近くの料亭「浮瀬」あたりで一席した折に詠まれた芭蕉の句にあとから勝手に建てた、景気の好い商人の道楽にこの地を拝借したのかも知れない。
社務所に寄り、禰宜と称する女性と、大江神社の由来などを聴きながら、世事一般の世間話に華が咲き、つい刻の経つのを忘れてしまう。ここにくるとき仰ぎみた鳥居の寄進に「長町六丁目」の刻字を見て、石段中程にある石灯籠に「日本橋五丁目」の文字を読み、現在の「でんでんタウン」との縁を感じるのだが。そういえば、唯一の関西資本の家電量販店がタイガースのスポンサー企業になっているのもまた何かの縁かもしれない。
とりは眠っている
落ちる星は落ちるまま 流れる水は流れるまま
一日にとんだ線や弧からぬけだして
とりはとりの眠りを眠っている
風が樹とまじわる はみだして
空をわたしの耳とまじわる
わたしのなかで一羽の鳥が眼をさます
吉田加南子 「鳥」より。
―今日のわが愛誦短歌
・三輪山の背後より不可思議の月立てり
はじめて月と呼びしひとはや 山中智恵子
―今日のわが駄句
・ひたむきに走るも遅し涼新た

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