晴れの特異日とされる体育の日(旧は10月10日)は、秋の暑さを感じるほど、好天に恵まれた。楽しいこと、哀しいことが重なった連休が終り、疲れが少し残ってしまった。古今集巻4−242に次の和歌が収録されている。
今よりはうえてだにみじ花すすき
ほにいづる秋はわびしかりけり 平貞文
先日、久米田の八木のだんじりを見物した折、たわわに稔った、稲穂の黄金いろの彼方の久米田池の広さを望見しながら、あたりを散策していると、春木川の明示がある川に出合った。おやと思って、南海沿線にあるあの春木の町に流れる春木川の上流であるのかと思い調べてみると以下のことが分かった。春木川は、岸和田市南部の北阪町の神於山に発し北西流、尾生(おぶ)町・額原(がくはら)町・西之内町・加守町を貫流し春木泉町と下野町の境で大阪湾に流出する川である。その川の向こう側の農道を次々にやってくるだんじりを眺めていると一幅の絵になっていた。そして、目をその川の堤にやると、懐かしいススキの河原があって、まさに秋の風光をあびて輝いていたことを思い出す。 ススキが美しいと思った印象が蘇ってくる。
連日の疲れを癒そうとススキでも探しに出掛けてみようかと、ぶらり独りの散策をこころみる。さて、この大阪の町のなかにススキがあるのかと家を出るがとまどう。ままよと、目途をつけたのが、天王寺区にある新清水寺界隈である。芭蕉の最晩年『笈(おい)日記』に―「廿六日(元禄七年九月)は清水の茶店に遊吟して、泥足が集の俳諧あり、連衆(れんじゅう)十二人、
人声や此道かへる秋のくれ
此道や行人なしに秋の暮
此二句の間いづれをかと申されしに、此道や行ひとなしと独歩したる所、誰かその後に候はんとて、そこに所思といふ題をつけて半歌仙侍り、爰(ここ)にしるさず。
松風の軒をめぐりて秋くれぬ
これはあるじの男の深くのぞみけるより、書きてとどめ申れし。
此秋は何で筆とる雲に鳥
この句は其朝より心を籠めて念じ申されしに、下の五文字寸々の腸をされたる也」とある。そんな芭蕉の句が念頭にあるので、清水坂からススキを求めて上って行く。思っていた通り、スズキの叢(くさむら)は見当たらない。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の野はおそらくは、すすき原であったろう。
上記三句の句碑が残る、伶人町の星光学院を横に、谷町筋を渡り、四天王寺の仲之門から四天王寺境内に入る。ここにならばとあちらこちらとへめぐる。東南隅の弁天堂の横の叢に萩と一緒に咲く尾花を見付ける。夕日に耀くススキの金色が見事にこころを捉える。夕陽ヶ丘界隈、宏しといえども、この一叢のみの哀れさとは、寂しさを越えた悲しさがある。
帰りは、愛染坂を下り「人声や此道かへる秋のくれ」の誰も通らない、人声の聞こえそうな軒下のある道を通って、秋の暑さを耐える。
―今日のわが愛誦短歌
・一心に釘打つ吾を後より
見るなかれ背は暗きのっぺらぼう 富小路禎子
―今日のわが駄句
・招かれて芒の前に立ちいたる


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