今回の正倉院展で久しぶりに「酔胡王」に出会った。一時間以上も並ばされてやっと入館したものの、またまた人の群れのなかに放りこまれてしまった。19年ぶりに出陳のふたこぶラクダに乗り、四弦の琵琶をまさにかき鳴らそうとしている胡人が、一点をみつめて、右手で力強く琵琶にバチを入れようとするその緊張した一瞬を察知したのか、振り仰いで、いななくような表情をしているのか、怯えようとしているのか不可解なラクダと胡人の一体となったすがたが貼り付けられた「螺鈿紫襢五弦琵琶(らでんしたんごげんのびわ)」を観るために、ロープが張りめぐらされているではないか。その入口のところまで来て「この行列は何ですか」と問うと、「螺鈿紫襢五弦琵琶」を至近で観られるとのことで「30分もあれば大丈夫です」ということらしい。そんな日本語は聞きたくないと、そのロープの出口の所に廻ると、2mほど先ではあるが「螺鈿紫襢五弦琵琶」をじっくり見られるではないか。それも思う存分、時間をかけて、聖武天皇遺愛の世界で1面しか残存しない五弦琵琶を拝見することが出来たのである。はるか彼方のシルクロードのかおりが伝わって来るではないか。30分かけて早く前に進んで下さいと、指図されながら、10秒足らずの拝観を終えて、出口から出てくる満足気な人々の顔をも拝顔しながら、その場をあとにする。

正面「螺鈿紫襢五弦琵琶」捍撥部分
雑踏から逃れたところに、「迦楼羅(かるら)」・「酔胡王(すいこおう)」の伎楽面が出陳されているのが目に入った。「酔胡王」とは数年ぶりの再会である。天平勝宝4年(752)の大仏開眼会では四部構成の大規模な伎楽の上演がなされた記録が残っている。伎楽では、獅子・獅子児・治道・呉公・金剛・迦楼羅・崑崙(こんろん)・呉女・力士・波羅門(ばらもん)・太孤父(たいこふ)・太孤児・酔胡王・酔胡従という14種の仮面が使われるのだが、今回は上の2面とは別に「獅子児(ししこ)」が出ていた。宮内庁正倉院事務所が復元した模造品ではあるが、大した出来栄えであり、千年経てば国宝になる代物である。
ところで、「酔胡王」のことであるが、酒が大好きで、酒焼けした赤ら顔の酔っぱらいの伎楽面である。その面は中国江南地方の呉(ご)の国の楽とされ、奈良時代、大仏開眼会をはじめとして、各寺院の法要でしばしば上演された。仮面劇であり、終盤に、酒を飲んで酔っ払った一群が登場する。配役は胡王「酔胡王」と8人の従者「酔胡従(すいこじゅう)」であり、酔っぱらいの演技に見物人の大喝采をあびたことだろう。そんな「酔胡王」をはじめて「正倉院展」で出会ったのは、学生時代のこと。クラブ活動に短歌部を選んだがために、作品の発表を毎月義務づけられている、連作20首を創作するのは至難のわざであった。そんな折にこの「酔胡王」の伎楽面に出会った。「酔胡王は酔っぱらい面・・・」の上五七ではじまる詠い出しに、異境をイメージした作品が、忽ち創作できたことを思い出す。当時は、街に酔っぱらいが其処彼処で跋扈していた時代であった。戦後、所謂、特攻隊崩れといわれた男たちがいた時代である。今年の正倉院展で出会った「酔胡王」がそんなことを懐かしく想い出させてくれた。

伎楽面「酔胡王」
・いかでわれこれらのめんにたぐひゐてちとせののちのよをあざけらむ 会津八一
「何とかして自分もこの伎楽面の仲間に入って、千年後の世の中を欺きたいものだ」
―今日のわが愛誦短歌
・日本人は日本の花をみな好む
木花草花花ならぬ花 窪田空穂
―今日のわが駄句
・酔えばただ愚痴いう勿れ長き夜を

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