「枝野寝ろ、石原黙れ、菅起きろ」、読人知らずの戯歌が流れている。地震、津波、原発、放射能、そして、デマ、風評、流言の害がやって来た。「外国人の窃盗団がいる」「電気が10年来ない」「レイプが多発している」「暴動が起きている。家も服も食べ物も水も電気もガスもないから」「明日、雨が降ったら絶対雨に当たるな、確実に被曝するから」「二、三件強盗殺人があったと聞いた」「政府は混乱を避けまだ真実を公表していないようです」etc…。テレビのインタビューで被災地の人たちは「情報が欲しい」と言っていたがこういうことなのかと情報化社会の隙間の心の動揺を思う。
人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は百人一首にある後鳥羽院の詠草である。例により『田辺聖子の小倉百人一首』から、この歌の意味を探る。
あじきないこの世だ 物思いにふけるわが身に 人は あるときはいとしく また、あるときは憎らしく思われる。―おお うつうつと楽しまぬ人生に愛情こもごも 身のまわりに点滅する人間たち。とある。この後鳥羽院の憂鬱の歌をパロディーにした狂歌がある。
花を惜し春も猶惜し三月はしかも小(しょう)にて物思ふ身はというものである。花のいのちが一日も長くあれと咲く花を惜しみ、去りゆく春を惜しむのに、今年の三月は小の月(旧暦では、小は29日、大は30日とされた)で、一日少ないのだから、ゆく春がいよいよ慌ただしい感じがするという意味であろう。花が咲くのはこれからのことであるのだが、気持ちはよく理解出来る。
水、乾電池、ガソリンと希望する物が次々に少なくなっている。ボツボツ便乗値上げが横行しだした。東京では米までが店頭から消えかかっているらしい。米騒動があるかもとの風評も起ちかねない。原発事故による放射能汚染が取り沙汰されている現状を考えると不安無きにしも非ずの心理状態になる。
あさましや富士より高き米値段(ねだん)火の降る江戸へ灰の降るとは(火の降る=貧乏の形容)天明3年(1783)7月7日、浅間山が噴火した。このときの死者は20000人に達したといわれる。当然にして、そのあとには大不作、米価は暴騰した。それを詠んだ落首がこれである。
世の中はすむとにごるで大違い はけに毛がありハゲに毛がなしことばに清濁をつけ間違えて意味の違いを笑っている場合ではない。
菅首相よ、この度の原発事故を踏まえて、今後の原発存否を賭けた対策に的確な判断を下さねばならない。その安全神話が崩れたのだから。さもなければ、揣摩憶測(しまおくそく)の風評が乱れ飛び続けるであろう。それが、最も恐ろしいことなのだから。
―今日のわが愛誦句
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門の草芽出すやいなやむしらるる 一茶
―今日のわが駄作詠草
・人を買うぞ人を売るぞの蜚語充ちる
野に咲く蒲公英あかあかとして


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