梅雨の合間の蒸し蒸しする暑さに緑陰が恋しくなる。清少納言の『枕草子』96段にある
森は大荒木の森 しのびの森 こごひの森 木枯らしの森 信太の森 生田の森 うつつきの森 きくたの森 岩瀬の森 ・・・・・と平安のむかし名をとどめた森の名を目で追いながら千年前に思いを馳せている。ここにある「信太(しのだ)の森」は例の『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』にある
恋いしくは訪ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉の和歌を遺して、古巣の信太の森にかえって行く「葛の葉子別れ」の話で有名である。その物語を想起しながら、所縁(ゆかり)の場所であろうと言われている信太の「葛の葉神社」に立ち寄ってくる。
社務所で「泉州信太森葛葉稲荷由緒」なる小冊子を戴く。曰く、
「御神樹由縁」―社殿南側の楠は樹齢二千余年。根元より二つに分かれ、千枝(千恵)の楠といい伝えられている。
和泉なる信太森の樟樹は千枝に分かれてものこそ思へと「古今六帖」にある。
「姿見の井戸」―楠の樹の南側にあり稲荷大明神第一の命婦白狐が義婦人(葛の葉姫)と化現した時に鏡に代えてその姿を写した井戸であると伝えられる。
「白狐石」―本殿の奥に安置されている。千余年前、保名命婦白狐が身を写した石で、(黒石に白石にて狐像を現す)唯一の聖霊秘蔵物。
「御霊石」―本殿奥に安置。葛の葉が保名の許から帰った時にこの石に化したという。
狐伝説のあった以前からの森であったのだが、その時の楠(くす)が葛(くず)と読みかえられて「葛の葉稲荷」の名が残されて居ると云うので、境内の楠の大樹を見上げ面白く思った。
『小倉百人一首』に登場する平安朝の女流歌人に赤染衛門(956−1041)がある。
やすらはで 寝ねなましものを 小夜ふけてかたぶくまでの 月を見みしかな (あなたが、お訪ねしますよ、とおっしゃらなければ、私はとっくに寝てしまっていたのに。あなたの言葉を信じて待ち続け、とうとう月が西の山に沈むまで、眺めてしまったのよ。)とでも現代のことばではいうのだろう。その赤染衛門が和泉式部に
うつろはでしばし信太の森を見よかへりもぞする葛の裏風という和歌を贈った。和泉式部の夫の橘道貞は和泉守として信太の森辺りが管轄地であった。その夫と別れた和泉式部が帥(そち)の宮(みや)と恋い仲になった。そのことを知った赤染衛門が上記の歌で諫めた。(他の男にこころを移さないで、もう少し和泉守道貞に集中しなさい。和泉国の信太の森の葛の葉が風によって裏返るように、再びあなたの許に帰ることもあるかも知れないのですから)と 。そんなエピソードもまた面白い土地柄ではある。
しばしの間、狐伝説を思い、平安朝の才媛たちの人生をしのび、千載青史に千年以上の名をとどめた偉大さに感銘する。信太の森での緑陰でのひとときであった。
―今日のわが愛誦句
・
屑の葉やむかしの森は庄屋が裏 夜坡
―今日のわが駄作詠草
・湿り空に蚊柱立てり貪婪に
酒飲み過ぎて昼寝より覚める

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