夏至から11日目は半夏生(はんげしょう)と呼ばれている。何故か、この日は俗な風説が多い一日である。
汲まぬ井を娘のぞくな半夏生という江戸時代の俳人、言水の呪(まじな)いのような句が残されていて、何を指してこの日に娘が井戸をのぞいてはならないのかは分からない。その他にもこの日不浄を行はず、淫欲を犯さず、五辛(『大辞泉』を借りれば
辛味や臭気の強い5種の野菜。仏家で、大蒜(にんにく)・韮(にら)・葱(ねぎ)・辣韮(らっきょう)・野蒜(のびる)、道家では、韮・辣韮・大蒜・油菜(あぶらな)・胡(コエンドロ)をさす。これを食べると情欲・憤怒(ふんぬ)を増進するとして禁じる。五葷(ごくん)。酒肉を食らはざる日なり。またこの日は仏母摩耶夫人の中陰(『大辞泉』によれば
人が死んでから次の生を受けるまでの期間。七日間を一期とし、第七の四九日までとする。の真中なれば、善事をなし、悪事を除くといへり。どうやら、何処かの寺の坊主が講釈を垂れたのであろう。無知蒙昧、純真無垢の善男善女への仏教説法の匂いが濃いような感じがある。他に、この日は毒気降るというので、一切野菜を採りて食せず、竹の子を喰うな、という拒否する事柄が多いようだ。しかし、一方では蛸を喰え、鯖を棒に突き刺して焼いて喰えなどの風習が今もあるようだ。否定と肯定どちらを採るのか解し難い風俗で、福島第1原発事故で放射能を浴びた福島産の野菜への風評とは全く質の違う俗説であろう。
さて、800年前、時の権力者、後白河法皇が自ら撰した『梁塵秘抄』という流行歌が残っている。源平の盛衰を背景にした混沌たる時代を考えると面白い。その歌謡のなかの一つに自分のところに一向に帰ってきてくれない、男の冷たさを呪う歌がある。
我を頼めて来ぬ男 角三つ生ひたる鬼になれ
さて人にうとまれよ 霜雪霰降る水田の鳥となれ
さて足冷かれ 池の萍(うきくさ)となりねかし
と揺りかう揺り揺られ歩け
強烈な女の呪いの歌である。「霜雪霰降る水田の鳥となれ」とその憎々しいたとえにされた男が、氷が張っている極寒の田んぼの中を歩いている有様を想像して、嗜虐的な笑みをもらしている女の姿が想像できる。
ドクダミの花によく似た半夏生という花がある。この半夏生の時期に咲くのでこの名があり葉の片側だけが白くなって半化粧したようになるからとも言われる。半夏生雨といってこの日に雨が降れば大雨が続くといわれるのだが、何とか雨は降らなかった。そんなことをあれこれ考えさせられた半夏生の日ではある。
―今日のわが愛誦句
・
男老いて男を愛す葛の花 永田耕衣
―今日のわが駄作詠草
・しみじみと半夏生の花見つめいる
なぜか問われし外国語にて

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