今日は「海の日」である。海に囲まれた国にふさわしい記念日ではある。「我は海の子白浪の さわぐいそべの松原に煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ。」海を見て生まれ育った人には堪らない郷愁を呼ぶ歌であろう。都会育ちの商人の子には、羨ましい限りであり、「生まれてしほに浴して 浪を子守の歌と聞き千里寄せくる海の氣を 吸ひてわらべとなりにけり。」この環境に育った人が、この度の東日本大震災の大きな犠牲になったことを思えば遣り切れぬ思いが過(よぎ)る。嗚呼、「高く鼻つくいその香に 不断の花のかをりあり。なぎさの松に吹く風を いみじき楽と我は聞く。」その松籟の音も、一瞬の津波が襲い去っていった。その音はいまは、聞くことが出来ないが、自然の輪廻にまたの日の再来を疑わない。 「丈余のろかい操りて 行手定めぬ浪まくら百尋千尋海の底 遊びなれたる庭広し。」の海底の藻屑となった海の民の無念を思うと、哀悼の念に堪えないが、「幾年こゝにきたへたる 鉄より堅きかひなあり。吹く塩風に黒みたるはだは赤銅さながらに。」の復興奮起が待たれる。 海に育つ者への希望なのである。「海の日」。「われは海の子」を思い出しての所感である。
音に聞きく 高師の浜の あだ波はかけじや袖の ぬれもこそすれ祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)の『小倉百人一首』の歌が残っている。現代語訳にすれば、「うわさに高い、高師の浜の、寄せては返す波が、 袖に濡れないようにしましょう。袖が濡れては大変ですから。移り気のある方と、噂が高いあなたに、思いをかけることはしますまい。涙で袖が濡れると、困りますから。」とでもなるのだろう。 高師の浜といえば、大阪では高級住宅街として有名な土地であった。白砂青松の地を戦後いち早く占領軍が接収して、大阪人から、夏の海水浴の行楽を奪われた記憶が甦ってくるのだが、今は、埋め立てられて臨海工業地帯になり、かっての面影はない。
そこにある「青少年育成センター」の施設で、野外バーベキューが出来るので、こころ許した同士が相集って野外食を愉しみ合った。台風の接近もあって天候不順のなかではあるが、設備が整備されていて「海の日」の一刻を有意義に過ごすことができた。隣席でイタリアの若い女性と、この度の原発問題を語りあって、その存廃の考え方を聞くことが出来て、友好的な雰囲気を味わえたのが、うれしかった。
―今日のわが愛誦句
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伸びる肉ちぢまる肉や稼ぐ裸 中村草田男
―今日のわが駄作詠草
・海に来て海を見ざるに帰り来る
戦後の風景これも悲喜劇

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