言い訳がましいことだが、年を取って年末の雑事に従事することを控えるようにしている。それにしても昔はこの時節、猫の手も借りたいほど多忙であった。核家族化がまだ殆んどすすんでなくて大家族が寄り集まって暮らしていた時代であった。当時、歳暮の定番といえば新巻鮭であった。現在では漁獲量が少なくなったというよりも、食生活の趣向、習慣がすっかり変化してしまって、たかが鮭ごときと雑魚扱いをされる憂き目になってしまっているようだ。歳末の繁忙期のおかずには手間がかからぬものとして重宝されたものだ。池田弥三郎
『私の食物誌』に「しゃけどん」と言って年末の挨拶に貰った新巻鮭を食べた様子が述べられている。とっくの昔に風化してしまった、歳末多事多忙の風景がよみがえって来て涙ぐみたくなる。
「塩じゃけをゆでて、皮や骨をとり、すり鉢であたる。別に、かつおぶしのしょうゆをたっぷりつくり、これには大根を千六本にきったものをいれる。ご飯に、しゃけをかけ、つゆをたっぷりかけ、ねぎを薬味にいれる。これが、しゃれていうと魚阪(ぎょはん)で、安っぽくいえば「しゃけどん」である。むかし店へは、あらまきのしゃけが何本も何本も来た。台所へずっとぶらさげておくと、あぶらがポタポタたれて、終わりの方に手がつくころには、からからになってしまう。そこで、大人数の所帯のお惣菜にと、考えだされたのがこのしゃけどんである」新しい年を迎える喜びをその忙しさに凝縮させて準備した時代が日本にあったのだ。
新巻鮭といえば、高橋由一(たかはしゆいち1828−1894)の
『鮭』が思い浮かぶ。江戸生まれ。近世にも洋画や洋風画を試みた日本人画家は数多くいたが、由一は本格的な油絵技法を習得し江戸後期から明治中頃まで活躍した、日本で最初の「洋画家」といわれる。重要文化財に指定されている
『鮭』の絵を眺めていると、戦後の歳末の雰囲気が懐かしい。
吊塩鮭片身となりし後減らずの目迫秩父の句がその情景を伝えている。
高橋由一『鮭』(重要文化財)
調べると、塩引きはまず腹を割って内臓を出し、薄塩をして薦(こも)に巻き、その上に縄を巻き付けた荒巻きと、塩を濃くした塩鮭がある。塩鮭は腹をひらいたものを塩蔵場の板囲いのなかに積み重ねて置き、ときどき積みかえて行く。すると、その間に塩が魚の肉質の間に入り込み、逆に水が抜けて3週間あまりすると平たくなった塩鮭ができる。塩加減は早く食べるか長く保存するかで異なるという。
いまは忘れられた、あの新巻鮭をぶら下げた歳暮ご祝儀の贈答風景の風情を思い出す、歳末の寸感である。
―今日のわが愛誦句
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塩鮭の血ぬらすことなく割かれをり 橋詰沙尋
―今日のわが駄作詠草
・ぶら下げる袋のなかに夢ひとつ
つつしみ深く音たてずあり

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