京都・久御山町佐山。浄安寺の仏前で百輪の椿の花の首を閲したあと地図を覘くと、北は伏見を経て京都。南下すれば奈良。東は宇治へ。西は大阪へ。それぞれの地へは木津、宇治、桂、淀の緒川が連なっている、上古以来の交通の要所である。国道24号線を右するか左するかで、古代から旅人の往還気分を愉しみ味わうことが出来る。彼方に鬱蒼たる杜(もり)が在ったので立ち寄ってみることになる。「延喜式内社 雙栗神社」と石柱に刻されている。
樹、静かならんと欲すれども風止(や)まずの森閑とした古社があった。社伝という曖昧模糊の由緒を信じるならば、羽栗郷(佐山村)・殖栗郷(えぐりごう)・排志郷(はやしごう)の鎮守社であり、羽栗・殖栗の間に鎮座していたので双栗すなわち雙栗(さぐり)神社となったとある。そして、祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)・素盞鳴命(すさのをのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと大国主命)・品陀別命(ほんだわけのみこと応神天皇)・息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと神功皇后)・大雀命おおさざきのみこと仁徳天皇)とある。「八百(やお)よろずの・・・」と、非常に数の多いときの形容に使うのだが、神話で天照大神が、素盞鳴命の乱暴な振る舞いに怒って、天の岩戸にこもってしまったので、困った神々が相談したことを「八百よろづの神、天の安の河原に神集ひ集ひて・・・」と
『古事記』にある。
柿本人麻呂が草壁皇子の早世を詠んだ挽歌が
『万葉集』(巻2−167)にある。原文と訓読と仮名で比較すれば面白い。
「天地之 初時 久堅之 天河原尓 八百万 千万神之 神集 集座而 神分 分之時尓 天照 日女之命 天乎婆 所知食登 葦原乃 水穂之国乎 天地之 依相之極 所知行・・・」
「天地の 初めの時 ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひ座まして 神分り 分りし時に 天照らす 日女の尊 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす・・・」
「あめつちの はじめのとき ひさかたの あまのかはらに やほよろづ ちよろづかみの かむつどひ つどひいまして かむはかり はかりしときに あまてらす ひるめのみこと あめをば しらしめすと あしはらの みづほのくにを あめつちの よりあひのきはみ しらしめす・・・」
その祭神が祀られている本殿は、極彩色の華麗な姿で圧倒される。よく見れば精巧な「蟇股」「栗鼠と葡萄」の彫刻が施されている。偶々、清掃していた人に問うと重要文化財だとの応えが返って来る。
残念なことには、その本殿を取り巻く籬(まがき)が本来の姿をとどめず、石組がブロックに代えられていることにより、国宝級の建物が改竄されてしまったとのこと。今は常住の神官もなく、私がお守りさせてもらっているとのことらしい。そして、この杜を黒椿の咲くところにしようと夢見ているのです。と嬉しい話をしてくれた。黒ユリは恋の花ならぬ、黒ツバキは何の花ならんかと想像してしまった。
跡もなく雪ふるさとの荒れたるをいづれ昔の垣根とか見る
平安時代の女流歌人赤染衛門の詠草である。通りがかりに雪に埋もれた廃屋があった。荒れるにまかせて、どこがかってあった垣根であるのか見分けがつかない。時は迅速に移ってしまい、人の世の有為転変は、悲しみを越えてあっけない。そんな複雑な憐れみの感情を覚えてこの雪景色を詠んだのだろう。
―今日のわが愛誦短歌
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ありし日に覚えたる無と今日の無と
さらに似ぬこそ哀れなりけれ 与謝野晶子
―今日のわが駄句
・さきがけて春呼ぶ花に神の庭


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