いくばくの溜め息つきて夏ばらへ
江戸の俳人服部嵐雪(1654−1707)の句である。折角、行ったのだが、どしゃぶりの雨にたたられた名越の祓(なごしのはらへ)である。邪神を払い和めて、夏の名を越えて木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に勝って災いをはらうためにこの名があると聞く。6月晦日に、神社の鳥居の下、拝殿、神橋の橋詰などに、茅を紙で包みたばねて大きな輪を造り左足から入り右足から出ることを三度繰り返し
「水無月の夏越の祓する人はちとせの命延ぶるといふなり」の和歌を唱えながら魑魅魍魎を呪詛し追い払うことが古来この日に行われていた行事が今に残っている。
息災にありあれ茅の輪潜りつつ 石塚友二
生憎の雨に茅の輪がひとつ境内に濡れそぼって立っている。四天王寺建立のころに遡るとされる古社である大江神社境内に来たのだが、この雨の悪戯に所詮、叶わず寂しき名越の祓となっている。
雨が降ります 雨が降る 遊びに行きたし かさはなし
紅緒(べにお)のかっこも 緒がきれた
たまたま、隣りの「愛染堂・勝鬘院」の夏祭りが始まった。雨のなかを待ち切れず祭見物に来ていたのどろう。浴衣をずぶ濡れにした少女がしゃがんでいるではないか。見れば鼻緒を切らした下駄をぶら下げていた。北原白秋が見た光景が紛れもなくそこにあったのだ。
雨が土砂ぶりのなかでの見え隠れする哀歓を味わった六月尽である。
―今日のわが愛誦短歌
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六月の気温のみだれ身に応へ
気むづかしくも老をならしむ 窪田空穗
―今日のわが駄句
・土砂ぶりの大阪最初の夏祭り

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