今、連日書いている
「鼠六匹に冬の蛙」(夢中に考える)の拙文で、千日恥を天下にさらしてしまった。
彼の世千日此の世一日ということばがある。死後の千日の楽しみよりも、この世の一日を楽しむほうが好いと、酒屋のオヤジが教えてくれた。それにしても千日間、一度も休まず、なになにについて書けと出題されてもないことをつらつらと書き続けて恥をさらしてきたものだと、その厚顔無恥ぶりに呆れる。この世の一日の楽しみを千日楽しんだどころか、苦しんでしまった辛い千日であった。
大阪四天王寺には、毎年、8月9、10の両日、千日詣という行事が行われている。この日に参詣すれば、千日詣したことになり、今でもたいそうな賑わいがあるのだが、人が集まれば集まるほど覗きたくなる若い人たちには、如何なものなりやと、本来の趣旨が奈何なりやを聞いてみたいものだ。曰く。
「千日にかった萱(かや)にはあらねどもけふ一日でつみがほろびる」「有難さあまりて申す念仏の一声はなせば千日まいり」「もぐさよりききめのつよい天王寺けふの一ト日が千日まいり」などの狂歌が残されているのだが、少々、人間の勝手なお願いごとが面白い。また、「千日」とは、千日前の略したものであるらしいということを知った。武蔵坊弁慶が京の五条橋の上で一日一振の刀を千日かけて奪い獲る願を立てた。999振の刀を獲りあと1振で満願成就というところで、牛若丸に出合いその思いが断たれたという有名な話がある。
また、妻の不貞で女性不信となった王が、国の若い女性と一夜を過ごしては殺していたのを止めさせようと、大臣の娘シェヘラザードが、自ら王に嫁ぐ。そしてシエヘラザードは毎夜王に話をしては気を紛らわさせ、終に殺すのを止めさせたという物語が
『千夜一夜物語(アラビアンナイト)である。「続きはまた明日」と話を打ち切って、続きの話が聞きたくて王は別の女性に伽をさせるのを思い留まり、それが千夜続いたという話である。
「千」 甲骨文字
千日は悠久の宇宙の時間からみれば、一瞬に過ぎない時間ではあるが、肉体衰え、気力喪失しかけた老人にとっては、現実では、長い長い茨の時間なのである。そんな思いで、雨の降るなかを、大津市の「葛川明王院」に行って来た。
明王院への入り口の橋
そんなところに何故と不審に思われることは承知なのであるが、あの比叡山廷暦寺の難行苦行の「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を思い出したからである。「相応」という山に籠ること12年の29歳の修行者の一念は生身の不動明王を拝むことであった。それは比良の山中を一切の穀類を断ち、草と木の実で命をつないでいた時、明神のお告げがあり、この谷を行けば前人未踏の霊地があってその山中に「三の滝」という滝があり、不動明王に会えるという宣託があったからである。
「三の滝」へと通じる
そして17日間断食し、不眠不休で祈願した満願の日に滝壺に不動明王が水中に佇んでいたので思わず抱きついたのだが、それは桂の古木であった。がよく見ればそこには今見た不動明王の姿が刻まれていた。それがこの明王院の本尊であるという伝説がある。誰もいない改装普請中の堂を覗くと、その伝説の像が折からの雨の薄暗がりに見られた。
以後、此処は千日回峰行の聖地とされた場所とされている。
堂内に不動明王像がある
千日とは如何に重たい日々であったことか、休むことなく連続して進むことの行為の尊さを体験させてもらった。まずは協力を惜しまなかった周りの人達、そして家族にも感謝し、続けて新たなる一歩を踏み出していきたい。
―今日のわが愛誦短歌
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生き行くは楽しと歌ひ去りながら
幕下りたれば涌く涙かも 近藤芳美
―今日のわが駄句
・千日の文読み返す秋思かな
葛川明王院
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