三日ほど旅行するので、植木に水と熱帯魚に餌を与えてくれないか、と頼まれたので早起きしてしまった。早朝5時には薄明の刻はまだ訪れて来ない。
厳寒や夜の間に萎えし草の花 杉田久女の句ではないが、水を与えなくて萎えるのか、寒さで萎えるのか、水を与えたとしても、寒さに萎えてしまうであろう植木に水を与えた。ただ熱帯魚はそうはいかず餌を与えなければ共食いするということらしい。そんな残酷な魚になぜ餌を与えるのか、と思いつつ餌を与えて来た。
10日も経てば、立春なのだが、春を待つこの時期が一年中で最も寒いときであると言われている。近現代の日本の歴史のなかで有名な出来ごとは、明治35年(1902)、雪の八甲田山で210名の兵士が遭難したことである。酷寒の八甲田山を軽装で雪中突破しようとする無謀な行軍が大隊長から上意下達された。日露開戦を意識した日本陸軍の耐寒訓練の一環であったのであろう。結果は210名中199名が死亡し、山口金吾大隊長は責任をとって自決した全滅に近い事件であった。事件後軍部は、国民の批判を恐れて、遭難者は靖国神社に祀り、生存者は英雄として処遇され、指導部の無謀が招いたこの大量遭難事件を美談としてデッチ挙げてしまった。今日1月23日がその日である。
最近、大阪市立桜宮高校体育科の体罰で自殺者が出た問題があったのだが、強くなるための強化指導が裏目にでた結果なのであろうが、自殺で体罰に抗議したのが美談なのか、それに耐えて切磋琢磨し、好成績を残したことが美談なのか、天才でも日ごろの練磨を怠れば、凡才に埋もれてしまうことを学ばなければならない。
み雪もむせびぬ 風さえさわぎて
月も星も 影をひそめ み魂((たま)よいずこに
迷いておわすか 帰れ早く 母の胸に
今日(1月23日)はまた「真白き富士の嶺の日」ということになっている。
明治43年(1910)1月23日、神奈川県の逗子開成中学のボート部の生徒12人の乗ったボートが遭難。七里ヶ浜で全員溺死した悲劇があった。この時期の天候の急変がこの事故につながったのである。
切支丹坂を下り来る寒さかな 先日訪れた北摂の隠れキリシタンの里の残雪に隠れた苦節の歴史のことを思い起こした。
―今日のわが愛誦短歌
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しら雪はあはれ葬(はふ)りの火をつつむ
兵を殺せしは敵ならなくに 香川進
―今日のわが駄句
・がたがたと膝震えいて春隣り

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