20数年ぶりであろうか、京阪電車を「出町柳」駅で降り、今出川通を東に緩やかな坂道を上って行く。京の都には鬼門の方角にある比叡山は、冬の日を浴びていた。如意ヶ岳の大文字は、この時期には、雪文字を見せてくれるのだが今日はない。懐かしい道をゆっくり歩く足どりも昔にくらべると重たく感じられる。孫の入学式を見せようと手を引いたあの時の老母の年齢と重なっている自分を思うと、然(さ)もありなんとは、思いたくはないが、わびしいことではある。百万遍の交差点を渡り、右にしばらく歩いたら「京都大学総合博物館」がある。
先週行って来た「世界へ羽ばたく キリシタン遺産」展の一環として開催中の「マリア十五玄義図の探求、― 三つのマリア像―」展を見学に出掛けた。
「マリヤ十五玄義図(紙本着色聖母子十五玄義・聖体秘跡図)」は、昭和5年(1930)茨木市下音羽の原田家の屋根裏の材にくくりつけてあった竹筒から出たものを京都大学が所蔵しているものである。
そして、もう一幅は先日訪れた茨木市千提寺の東家からフランシスコ・ザビエル像(神戸市博物館所蔵)と同時に大正9年(1920)に屋根裏の梁にくくりつけられた「あけずの櫃」から発見されたものであり、それが同時に公開されたのである。「玄義図」とは、
『広辞苑』を編集した新村出博士の命名によると説明されていた。因みに「玄義(げんぎ)」の意味を
『大辞泉』には、
「@奥深くて微妙な意味。幽玄な教義。Aキリスト教で、啓示によってのみ示される信仰の奥義。」とある。
「聖母子十五玄義」と「聖体秘跡」と分けられている図は興味深く、当時、この西洋画の技法を駆使できた日本人画家は誰かを考えると、楽しいことである。画像をよく見れば中央上部は聖母子十五玄義、下部は聖体秘跡。まず聖母子十五玄義であるが、幼いキリストを抱くマリヤ像を中心に、
「喜び」「苦しみ」「栄光」と5図ずつ15の絵に祈りのことばがあり、ロザリオ(数珠)を繰りながら聖母マリアに祈りを奉げていたのだろう。現在も京阪地方の夏の地蔵盆で行われている数珠廻しは、何故か意味あり気にも考えたりする。
〇
「喜びの玄義」@告知A訪問B生誕C奉献D神殿でのキリスト
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「苦しみの玄義」Eゼッセマネの夜(イエスのお祈りの途中、弟子ペテロ、ヤコブ、ヨハネは命に反して眠ってしまいユダの裏切りで囚われの身になる)F鞭打ちG茨の戴冠H十字架運びI磔刑
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「栄光の玄義」J復活K昇天L聖霊降臨M被昇天N戴冠
そして、「聖体秘跡」の図は、中央の聖杯とその上に光りかがやく聖餅は、カトリックで行われる聖体の秘跡という儀式のシンボルといわれキリストの肉と血を意味するパンとブドウ酒を信者に分かつ儀式で@聖マチアスAイグナチウス・ロヨラBフランシスコ・ザビエルC聖ルチヤが「イエズス会の紋章を仰ぎ見ている構図である。
国禁をくぐり抜け、弾圧を耐え抜いた隠れキリシタンの遺物の存在を見ていると、日本歴史のなかでのクリスチャンの苦脳がにじみ出て来る迫力に圧倒される。それは、主が与えた試練なのだと考えたくはないが、クリスチャンでない者でもその謙虚な信仰心に胸を打つ。
会場を出たあと、比叡の山を仰ぎ見れば、、全山の僧を焼き殺した織田信長の暴挙が眺められる位置に立って、異国の文化を採り入れようと、敢えて既成価値を破壊した信長の進取の気性を考えてみた。
―今日のわが愛誦短歌
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あばら家に突っかい棒して住んでいる
死にたくもなく思わなくなっている 山崎方代
―今日のわが駄句
・ゆるみまた厳しは何かと春を待つ

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