深夜、通天閣界隈を散策した。満月が煌々と照っていた。星のことなら何でも俺に聞けと、うそぶいた野尻抱影(1885−1977)は、
「昔から、秋の月はさやけさを賞し、春の月は朧(おぼ)ろなるを賞すといわれるように、だいたいは朧月に通じている。しかし、暮れた夜冷えのなかにのぼって、暖かいレモン黄に澄んでいるのも春の月である。」と春の月のことを観照している。それ程、昨晩のいや、今朝の月は通天閣、いや、日本一高いビルディングのあべのハルカスの上に澄み輝いていた。
人だかりした跡ぬくし春の月 と刀研(かたなとぎ)を生業としながら俳諧を愉しんだ桜井梅室(1769−1852)の句の情緒にあやかるとすれば、この満月は大型連休の始まった新世界界隈の昼間の雑踏がうそのような静けさにある下界を照らしている。もっともっと遠まわりして帰りたいような春の月のぬくもりを感じたのである。
風が薫る快晴の朝を迎えて、さて、どこに浩然の気を養いに出掛けようかと思案した。余りの好天にどこに行っても人出に疲れるだろうと遠出するのが億劫になってしまい近所の大阪市立美術館に行くことにした。入館料金が1500円、音声ガイド代が500円、図録2000円の出費で行楽出来るのだから有難いことである。
『ボストン美術館 日本美術の至宝』と題した展覧会である。日本美術の伝道者・フェノロサ(1853−1908)、日本びいきの大コレクター・ビゲロー(1850−1926)、「アジアはひとつ」をボストンで、の岡倉天心(1863−1913)の3人が日本美術コレクション形成に尽力した人として崇め奉られているが、展覧の美術品を観た結果、展示された美術作品がボストンに流出せずにいたならば、それらの文物は国宝、重要文化財に指定されていたであろう逸品ぞろいには恐れ入谷の鬼子母神である。明治政府のお雇い外国人として来日して東京大学教授として政治学、哲学の教鞭をとったフェノロサは、在日中に日本美術に開眼し、弟子にした岡倉天心を東京美術学校、帝国博物館(東京国立博物館)設立に関わらしめ、ボストンの医師で大資産家のビゲローを呼び寄せて、日本美術品の買い漁りをせしめた。フェノロサによる収集品は1000点以上、
『平治物語絵巻』尾形光琳
『松島図屏風』。ビゲローによる収集品は、41000点以上でさまざまな画派の絵画、浮世絵、彫刻、刀剣類、染色品と広範囲にわたる。こんな逸品群をおめおめと外国に売り渡した美術商、買い漁ったフェノロサらの存在。地位の乱用を思う存分に発揮した結果の成果であったと見られても仕方あるまい。要は明治政府役人が暗愚であったのであろうか。
『馬頭観音菩薩像』(12世紀)。
『法華堂根本曼荼羅図』(8世紀)。
『弥勒菩薩立像』(快慶作1189)。
『吉備大臣入唐絵巻』(12世紀)。
『平治物語絵巻 三条殿夜討巻』(13世紀)。
『龍虎図屏風』(長谷川等泊1606)。
『鸚鵡図』『十六羅漢図』(伊藤若冲18世紀)。
『松島図屏風』(尾形光琳18世紀)。
『商山四皓図屏風』(曽我蕭白18世紀)。など日本の逸品がボストン美術館の至宝であるとは、悔しいことではある。これだけあれば北方領土はお釣りがくる交換価値があることだろうと垂涎の的にしても仕方があるまいと、今を盛りのツツジを横目に眺めて来た。
―今日のわが愛誦俳句
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葉桜や知らぬ昔のものになる 千代女
―今日のわが駄作詠草
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春の月そのかがやきをながながと
おさめて西に傾きゆける
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