「美しき五月となりて、花のつぼみのもゆる時、わが胸も愛の想いにもえいでぬ」とは、簡潔にして甘美なハイネの詩集
『抒情小曲集』のなかの一節である。
連日、30度を越える猛暑日が続き、花の蕾が萌え出でる美しき、爽やかな五月のイメージはない。
狂言師で人間国宝の茂山千作翁が亡くなった。人を笑わすのが商売の落語家の人間国宝桂米朝師のコメントが
『朝日新聞』夕刊に載っていた。
「とにかく豪快な芸の持ち主でしたな。橋がかりから登場する様子が、すでに可笑しいのです。名乗りの台詞((せりふ)を言うだけで、こちらが吹き出してしまったことも何度もありました。極め付きは放埓な笑い。「アーッハッハッハ」と腹の底から笑っておられる姿が、今も目に浮かびます。」と、福を持ってくる大きな声で会場を温かい雰囲気につつみ込み、天性の笑いを誘った、親しみ深い狂言師であった。
狂言に
『博奕十王(ばくちじゅうおう)』という作品がある。「人間が賢くなって、仏教を頼ってみな極楽へ行ってしまうので地獄は飢饉になってしまった。危機感を覚えた閻魔大王は、大勢の鬼どもを連れ六道の辻まで出張して行った。ここから亡者を地獄に落してやろうと待ち構えていると、博奕打の亡者がやってくる。その亡者を浄瑠璃の鏡に映すと、生前の悪業が現れて来た。早速、閻魔大王を地獄へ責め落そうとすると、博奕打はことば巧みに博奕の効用を説き、持参のサイコロを振ってみせる。博奕のおもしろさに憑かれた閻魔大王と鬼たちは金札や鉄棒を打ち込み、ついに閻魔大王は身ぐるみ剥がされ、賭け物を返してもらう代りに、博奕打を極楽へ案内して終る」という筋書きである。
さて、地獄へか、極楽へかの分岐点に立たされた狂言師千作翁があの世でどんな狂言の手を打つのやら。誰かがこの作品を本歌取りにした狂言を創ったら面白かろうと思うのだが、茂山千作の風格を持った狂言師がありやなしやによって、はなむけの善し悪しにもなろうと思うのだがと思いつつご冥福を祈っている。
―今日のわが愛誦俳句
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はるかまで旅してゐたり昼寝覚 森澄雄
―今日のわが駄作詠草
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無茶苦茶に運強き男ありにけり
石楠花咲く日に財布落としぬ
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