早朝、カラスの啼き声に目が覚めた。早朝と言っても夜中の午前2時半のことで、草木も眠るという丑三つの刻ではあるが、大阪市内のど真ん中に住む者には常套のことで、驚くべきことではない。酔っぱらいがコンビニから出て来たところで手に提げている袋をカッパラったのか、野良ネコの赤ちゃんでも見付けたのか、獲物を獲った凱歌なのかも知れない。兎に角、目が覚めたあとは、年寄りの習癖なのか、眠れる筈がない。裏戸からこっそり外に出て徘徊するしかないのである。24時間1年365日休むことなく商売している店が彼方此方にある。原発が止まったので電力不足を解消するための節電を呼び掛けているのに、この業界は構うことなく24時間、貴重な電力を無駄使いしているのだ。戒厳令でも布いて、夜間外出禁止、燈火管制でも耐えるべし、その代り消費税は全廃するという公約をする政党が、今回の参議院議員選挙に現われないだろうかと考えているうちに東雲(しののめ)の空が明るくなって来た。
「睡蓮の一花一花の真昼かな」と詠んだ上村占魚の佳句を思い出して睡蓮を見に行きたくなった。睡蓮の花は時間によって開いたり閉じたりするということらしい。わが国では、昔は未草(ひつじくさ)という呼び方をされていたという。未(ひつじ)の刻(午後2時ごろ)に花を開くことから名付けられたという。睡蓮=睡る蓮、つまり、開花していないつぼみであるのに、未の刻に開花するので未草というのは妙なことなのだが、どうやら「すいれん」は未草の漢名である「睡蓮」を音読みにしたのだということであるらしい。
有難いことに最近はインターネットの情報で、瞬時に花の咲く様子を知ることが出来る。六甲山地の西部に
「神戸市立森林植物園」で、いま、紫陽花とともに睡蓮が咲き始めているという。午後2時ごろ開花するという未草のいわれを信じて出掛けてみることにした。わが家から約1時間半の行程であることがカーナビで計算されている。三宮から「再度ドライブウエイ」を七曲(ななまがり)ならぬ50曲がりある急峻を登坂して行くと目指す森林植物園に着いた。
園内にある「長谷池」が睡蓮の池ではあるが、森林植物園と銘うたれているだけにその広大さに腰がガクガクになるほど歩かねばならなくなってしまった。ようやく到着した長谷池。池の水には黄色い花をつけた河骨(コウホネ=沼、池に生える、すいれん科の多年生植物)に覆われていた。
これも睡蓮の一種だが、目当ての睡蓮は遥か遠くの池面を埋め尽くしていて、橋を進むと白やピンクの花がきりりと咲いていた。カワ鵜がもぐってはくびをあげ、牛ガエルの大きなだみ声が響き渡っていた。鯉が群れて泳ぎまわり、此処にいま育成中の目高を放てばどうなるかと思ったりする。
睡蓮といえばモネであるのだが、まるで印象派の画のように光が射し、水面を渡る初夏の風はすっかり梅雨が明けたのではないかと感じた。
―今日のわが愛誦俳句
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藻の花の重なりあふて咲きにけり 正岡子規
―今日のわが駄作詠草
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ほそぼそと息するごとき睡蓮の
午後を咲かむといま静かなり

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