とにかく石は奉納した。20年間、人に踏まれることのない位置に奉納させていただいた。(抛げてはいけませんと但し書きがあった)悠久(長く久しいこと。永久。永遠)の時間のことを考えると、20年、いや2000年の伊勢神宮の歴史のことを考えるとそれは瞬間のできごとなのである。天照大神が
「吾(わ)が児この宝鏡を視(み)まさんこと、まさに吾を視るがごとくすべし、ともに床を同じくし、殿を共にして、斎鏡(いわいのかがみ)となすべし」と神勅を下された八咫鏡(やたのかがみ)が現在も皇大神宮(内宮)に天照皇大御神の御霊代(みたましろ=ご神体)としてまつられる正殿がそこにあった。
真新しく完成した唯一神明造(ゆいつしんめいづくり)の総檜の新しい神殿を真近に見て、こんな立派なものを何故20年で建て替えるのかと、200年に一度で良いのではと思いながら、向こう側に聳える正殿と比べてみる。成程、この遷宮制度を定めた天武天皇のころにはすでに木造造り世界最古の法隆寺は建立されていた。が、伊勢神宮は20年の式年遷宮を踏襲し続けているのだ。生物が親から子へと生まれ変わることにより、個体の永遠の生命を引き継いでいるという考え方もその一つであろう。農耕民族の稲作の思想がヒントになっているのかも知れない。
そんな想像を逞しくしながら、裏門から退出する。天照大御神を祀る「荒祭宮」へは足が痛くて遙拝で勘弁願う。
11:50解団式を待つ間、記念品(お白石奉献車のミニチュア)、冷たい茶菓、果実の接待は有難かったが、木遣りの節に乗ってくる卑猥さをまじえた唄い文句をじっと聞いていると、つい疲れを忘れてしまった。
〇ホーンエー 三吉乗ったか ヨーイヤヨー 乗ったら降りるな男の恥やぞ アーヨーイトセー
〇ひやかし若い衆とかけて なんととく ヨイヤサ エー 小野の道風 心は ソーレナ 買わず(蛙)に見とるじゃないかいな
〇ホーエー あの子よい子だ わし見て笑う 今度笑ろたら嫁にする 二八乙女の手で焼き添えて 味は二見の壷サザエ
詩人、小説家の富岡 多恵子(とみおか たえこ、1935〜)によれば
「伊勢神宮という聖地と古市遊郭はセットになっていた。古市という町は、内宮、外宮のちょうど間くらいのところから北東にずれた丘陵に位置している。ということは、内宮、外宮のいずれの帰りにしても、古市へは、現在は間(あい)の山と呼ばれる尾部坂か、それとも牛谷坂というかなり急な長い坂をのぼっていかねばならない。聖なる地から遊郭へいく道が、のぼりの坂道であるのは、かんがえようによっては聖からの下降が俗であると思う感覚に逆らっているともいえる」という示唆を思い浮かべて木遣りの接待に疲れを癒やしたのである。
幸いなるかな炎天下でなく、雨もなく、曇り空のなかを帰路に着いた。
―今日のわが愛誦俳句
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向日葵の蕊(しべ)を見るとき海消えし 芝不器男
―今日のわが駄作詠草
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振向けば雲立ち渡る神路山
年を忘れて汗掻きしこと

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