大阪市内で昭和17年(1942)の16日間、連続の猛暑日(最高気温35℃以上)の記録を更新、と思っていたら17日間で止まってしまい、雷が鳴り雨が降った。昨日は最高気温が28・1℃まで下がり、凌ぎやすい日になった。
神経質で細やかな詩魂と感性を持つ歌人、坪野哲久に、
「雨のおと風のながれを夜深(よわ)に聴き夏も果てきと足冷えておる」とある歌のごとくこれだけの温度差が急に訪れると、一気に秋である思いになってしまった。
昨日の拙文のなかに、
「カンテキ割った、すり鉢割った、叱られた、おかしてたまらん、トッテレチンリン」という文句があるがどう云うことか説明してほしいという問い合わせがあった。おかしくてたまらないことを、「オカシテタマラン」というのだが、オカシクテ→オカシュウテ→オカシイテ→オカシテと大阪弁が変化して行ったものであろう。そして、現在では、余り使われず死語になりつつある「カンテキ」や「すり鉢」を、割って叱られたという意味とはということであるが、「カンテキ」。一般的には、七輪、こんろのことを指すが転じて、よく怒る人を指していう譬えがあるということが国語辞書にある。
ところが、牧村史陽
『大阪ことば事典』を紐解いてみたら、「オカシテタマラン」説が紹介されていた。すなわち、
『守貞漫稿』には、
「かんてきは、かんへきの訛か。此炉、忽ちに炭を火とす。故に、癇癪と云ふなり。江戸にては、七厘と云ふ」また、早川自照の説として、
「間鉄器の転。また、燗適器、酒の燗に適するといふ説あり。」とある。そして、宇井無愁という人の説では、
「燗的か、燗は冷熱中間を得る意で、火加減自在になる意味か」と、勝手気ままに自説がとなえられているのだが、酒飲みのお好みにはついて行けない独断と偏見が述べられているようである。
「すり鉢」とは、みそやゴマ等を入れ、すりこぎですり砕くのに使う鉢であるのだが、「すり鉢転がし」というのがあって、すり鉢の上縁から一銭銅貨をころがして、底にある銅貨に重なったら自分のものになり、重ならないと相手のものになる簡単なバクチがあった。その日の生活に必要な「カンテキ」や「すり鉢」を使い酒を飲み、バクチにうつつを抜かしている者には、親や嫁や子供から見ればろくでなしである。たまらず「カンテキ」や「すり鉢」を割られて叱られた姿が可笑しくて仕方がないと揶揄されているのではないかと考えてみるのだが、・・・。
その昔、「かんてき長屋」と呼ばれた、電気もガスもない細民の住む、地域がそこに在ったと古老から聞いたことがあった。今は高層ビルが林立していてその面影の欠片もない。そんな風景を想像しながら秋思に耽っているところである。
―今日のわが愛誦俳句
・
きしきしときしきしと秋の玻璃を拭く 三橋鷹女
―今日のわが駄作詠草
・
思い出すことみな暑しことばかり
変貌の街に秋は来にけり

2443

4