毎年、春と秋に四天王寺の境内である古書市が今年も先月あった。その折、知人がいま行って来たと買ってきた大谷晃一の
『大阪学』(1994)を得意気に見せてくれた。幾らだったかと聞くと300円だったそうだ。わが貧弱な書架に並ぶベストセラーになった初版本は大阪人である大谷晃一でなければ書けない大阪である。
『続大阪学』『大阪学余聞』『大阪学文学編』『生き、愛し、書いた。織田作之助』『関西名作の風土正続』『井原西鶴』『西鶴文学地図』『上田秋成』『昭和風土記』など、大阪に所縁の著書がいっぱいあって大阪を勉強させてくれた。大谷晃一は大学の先輩でもあり、在学時代、属していた「短歌部」の先輩である浜畑幸雄氏から贈られてくる
『別冊關學文芸藝』を通じてのいささかの誼があった。一昨日、亡くなったことを新聞で知り感慨を一入のところである。
その
『別冊關學文藝』に次のような文章を残している。
「自分の大学時代を書く。昭和18年(1943)10月、戦争はひどくなっていた。大学へ進学すれば、軍隊に入るのが猶予される。みな、大学へ殺到した。私も入学してほっとした。戦争で死ななくてもいい。ところがそのとたんに文系学生の徴兵猶予が廃止された。文系は戦争の訳に立たないから、学生を早く駆り出すことになった。私は文学部の心理学専攻だから逃げられない。12月に、みな学徒出陣をした。その多くの友が死んだ。私が助かったのは、検査で結核の残影が見つかったからである。」「治安維持法」が幅を利かした当時では書けなかったことを書き残している。国家のためにとだまされて戦場に駆り出されて行った同窓の無念を思い、書いた追憶の一文を
『大阪学余聞』の中にある。
「あほう」は、最後の「う」を発音しないのが大阪の特色である。「あほう」は共通語だが、「あほ」は大阪の方言になる。「あほちゃう」「あほやなア」「あほくさ」「あほらし」「あほんだら」などという。これに対して東京では「ばか」という。東京人は「あほ」と言われたら、怒りだすと聞く。逆に、大阪人が「ばか」といわれたら不愉快になる。意味が同じなのに、大きな差異がある。大阪の「あほ」は、どこか間の抜けた調子がある。それが大阪らしい軽さになっている。悪口や叱責なのだが、相手への親愛の情もこもっている。大阪人にはそれが分かる。だから腹をたてない。「ばか」には、相手を見下した冷たさを感じるのだ。といみじくも喝破しているのであるとは、大谷晃一の達見であろうか。
大阪を知っている大阪人がまた逝った。冥福をお祈りしたい。
ぼちぼちは、ぼつぼつと同じで、少しずつのことである。あいさつで商売の状況を問われると、こんな言葉で適当に返事をする。税務署に聞こえてもいいようにしておく。ごまかしである。『大阪学』より。
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