炎天下。○まちをきれいにしよう、から、○安全できれいな日本橋をつくろう、までの9項目を連呼しながら、日本橋安全まちづくりキャンペーンに参加してきた。夏休みで地方からの来街者であふれているなかを○ひったくりをなくそう、○はみ出し陳列はやめようと、人の波を分けながらの訴えが続く。
○放置自転車はなくそうのコールを意識してか、大阪市の条例による放置自転車の撤去作業がなされていた。こんなにこの街に放置されている自転車があるのかと、見ている間にトラックに放置自転車が積み込まれて行ったのには驚いた。
今晩、火の用心の巡視で街に呼びかけがあるが、○火の用心で火事をなくそうとの予行演習ではないかと思われるコールの繰り返しをしていた。○不当な客引き行為はやめよう。○はみ出し陳列はやめよう。などを繰り返し、繰り返しているうちに、三日前に行った安宅の関の砂漠を思い出していた。内灘闘争のことである。
昭和27年(1952)朝鮮戦争のため、アメリカ軍の砲弾の需要が大きくなり日本国内のメーカーから納入される砲弾の性能を検査するための試射場が必要となった。試射場には長い海岸線をもつ場所が適しており最終的に内灘に決定された。これに対して村議会は反対決議を行い、北陸鉄道労組は浅野川線で行われる資材搬入に対してストライキを行うなどの支援を実施した。闘争は昭和32年(1957)のアメリカ軍撤収で終息した。
このころ大学の講義の雑談のなかでこの内灘闘争のことがさり気なく教官の口から呟かれ、やがて60年安保闘争への予兆が感じられた。
○悪質な迷惑駐車を追放しよう。○迷惑な違法駐車はやめよう。まちをきれいにしようの掛け声のなかに、当時デモの端くれにいてシュプレヒコールを繰り返していた声と重ね合わせながら炎天の日射に肌を焦がしながらパレードは進んで行った。
憲法9条を守れ、という戦争への参戦を拒否するシュプレヒコールこそはもっと声を大にして叫び続けなければ・・・・・。

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