今日は餅が届く日である。餅を入れる餅函が用意されていないので、届けられたらどうするのだと、娘を叱ったら電話連絡があるから大丈夫とのこと。その舌の根がかわかないうちに餅が届けられて来た。娘は慌てて、しかしすぐにすまして用意したのはお見事とあきれるほかなかった。
母の弟、即ち叔父が黒門市場の老舗の餅屋の娘と結婚し、その名跡(みょうせき)を継いだので、それまで家で餅を搗いていたのを止めて賃搗きしてもらうことになった。戦後間もない頃で、親が配給の餅米を持って行ったことを覚えている。かれこれ70年近く、9は苦餅ということで、毎年末28日にとどけられる。その間、のしもちは1枚になり、小餅のお飾りもなくなった。お墓に供えるとカラスや人間様の被害に遭うからパッキングされたのにしてほしいとお寺さんからの要望であるらしい。そこで神さま、仏様、荒神様などもパッキングのに替えてしまったらしい。4キロの鏡餅は今まで通りであるが、最近では、近郊農家から売りに来るひとがなく、スーパーではウラジロのおおきいのや、串柿や橙の大がなくて苦労している。一番入手困難なのはユズリハであるらしい。数年前までは、黒門や木津の出店でまかなえたそうであるが。
その当時から使っていた木で作った二枚の餅函には家族の歴史がある。当時は、5人家族で、妹たちが結婚し、父が亡くなり、嫁との間に4人の子に恵まれ8人の餅を入れたときには、数枚の餅函を使っていた。今は、3人になってしまい餅函は倉庫のすみで眠っている。年末の28日。当時と変わらないそのままの餅が粗末な餅函に納められているのを感慨深く見ているところである。それにしても、搗きたての餅を、大根おろしにひたして、ふーふー吹きながら食べた、あの格別の風味をもう一度味わいたいものである。。
餅が来たところで理容所に出掛けさっぱりしてきたところである。

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