イスラム過激派組織「イスラム国」に拘束されている2邦人を解放するため身代金を要求された。その72時間の期限が迫っている。その時間、とある商店街の会合に出ていた。新年会や年末夜警パトロールの結果報告を聞きながら、先日の日本橋ものづくりサミットの報告、近づいてきた第11回日本橋ストリートフェスタの現況報告を聞くのももどかしくなってくる。
拘束されているジャーナリスト後藤健二さんの実母の切々たる訴えをネットで聞いた。
「私はこの3日間、ただただ、悲しくて、泣いていました。表現できません。健二は幼い頃から心の優しい子でした。健二はいつも〈戦地の子どもたちの命を救いたい〉と言っていました。中立な立場で戦争報道をしてきました。イスラム国の皆さん、健二はイスラム国の敵ではありません。解放して下さい。(中略)日本は唯一の被爆国です。アメリカによる広島と長崎への原爆投下で数十万人が亡くなりました。あと、残された時間はわずかです。日本政府の皆さん健二の命を救って下さい。」との訴えが胸のなかを抉る。
きょう、日本の歴史で、無謀な出来事があった日であることを考えている。一つは、明治35年、雪の八甲田山で210名の兵士が遭難したこと。
もう一つは、明治43年(1910)逗子開成中学のボート部員ら13名が、七里ケ浜で遭難溺死したことである。自然の驚異に逆らい無謀な行動を強行した結果の惨事であった。
そしてまた実母の石堂さんの話は続く。昨日、健二さんの妻から、電話で聞いた話として、子供が生まれたばかりだったと明かされ「子どもを置いて、なぜ遠い所へ行ったのですか」と妻に質問したら、『拘束されている知人を救出するために何が何でも行かなければ、と飛んでいった』ということだった」と語ったという。
『真白き富士の嶺』の詞句を噛み締めている。
ボートは沈みぬ 千尋(ちひろ)の海原
風も波も 小さき胸に 力もつき果て 呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里ケ浜辺
子を思う親の気持ちは時代が変わっても変わらない。
1556

13