梅雨の晴れ間のむしむしする午後である。久し振りに道頓堀を歩く機会があった。川柳作家の岸本水府が詠んだ、
「道頓堀の雨に別れて以来なり」の句がぴったりはまりそうな気分になった。しかし、以前の道頓堀の雰囲気とは少しかけ離れた、異様さを感じたのは、異国語、特に中国語が彼方此方から飛び交って来たことである。
さくら 咲く国 さくら さくら 花は西から東から
ここも散りしく アスファルト 桜吹雪に狂う足どり・・・
と、大阪人に春が来たときめきを伝えてくれた
『さくら咲く国』を作った水府がいたならば、さぞや嘆くことだろうと思いながら、ふと映画、芝居を観たあと小腹の空きを満たすために立ち寄ったうどんの老舗「いまい」の東側の路地が目についた。
この路地は、江戸時代から昭和初期の道頓堀界隈をテーマに再現されたもので「浮世小路」とある。昔の地図や街の賑わいを描いたペーパークラフト、道頓堀川から一寸法師の物語が始まったとする「一寸法師大明神」や「夫婦善哉」「南地花月亭」の入り口なども見事に再現されていて興味をそそる。
甲高い中国語で異様な雰囲気になっている道頓堀から、この浮世小路を抜けて往古の街を思い返して、法善寺横丁へ入る。そこには、
「上かん屋ヘイヘイヘイとさからはず」と、西田當百の川柳の碑があった。上燗屋(じょうかんや)とは大阪でおでんのことを、「かんとだき」という。蒟蒻(こんにゃく)、厚揚、豆腐に玉子と親父は酔っぱらいを相手にしなれているので、何を言われても、ヘイヘイヘイ。卑屈や迎合ではない、客の気分への暖かい心くばりであると、大阪にくわしい田辺聖子がどこかで書いていたことを思い出した。
堺筋北行一方通行になっている日本一交差点の西側には、道頓掘に送り込むのか、大型観光バスのアイドリング禁止の立て看板が並ぶ。観光立国を目指す政府の意向とは裏腹に従来からの情緒が破壊されているのはセンチメンタルなことなのだろうか。「赤い灯青い灯道頓堀」の情緒が消えて行くのは、と思いつつ千日前に出る。
・きょうのわが駄作詠草
何となく行儀の悪い街となる道頓掘は梅雨の晴れ間に
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