涼しくなったので春先に書斎を整理したままになっている不要の書物を売りに行くことにした。ところが、いざ出掛けることになると、本が重複していたのは兎も角にして手放すことに愛惜の念が急に沸いてきて、眼の前で愛読してきた本が査定されて行くのを見ているのが忍びなくなり妻と娘に託すことにした。万巻のなかからダンボール6函に詰め込まれた2百数冊とはいえ寂しいことではある。午睡の間に処理しておくことを頼んだ次第である。
さて、今宵は中秋の月が仰ぎ見られる。
三五夜中新月色 (三五夜中さんごやちゆう 新月の色)
二千里外故人心 (二千里にせんりの外ほか 故人こじんの心)
と白居易のこころがしのべる名月に出会うことが出来ることやらと気もそぞろになってきた。現在(午後3時)、大阪市内は晴渡っている。この分だと多分、満月が入り日とほとんど同じ時刻(5時50分頃)に上って東西を相望む望月を観ることになるだろう。
そのむかしのこと現在のような雑多で気儘に林立しているビルが建っていなかったころの通天閣上から望んだ望月のことを想い出した。最近ならば日本一高いあべのハルカスの超高層階から眺められるのだろうが、多分大にぎわいになっていて、風流をのぞむ老人には気に入らない状態であろうことが想像できる。
「名月や池をめぐりて夜もすがら」の芭蕉の風流にあやかりたいのだが、もうそんな風情が残る日本の街衢の風景はなくなってしまったようである。せめて微醺を帯びてその辺りを徘徊しようかと、貧しい心持ちになった自分を叱責しようと思っているところである。
・きょうのわが駄作詠草
誰彼と月を愛で合う人ら亡きなかに博徒も歌詠みしあり
1917

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