陰口ばかり叩いていた女がいた。止せと忠告しても聞く耳を持たない。純真無垢の生地をむき出しにして他人の欠点の理非、可否をあげつらうのが美学と信じているのだろう。その女性が突然、救急車で病院に搬送されたことが耳に入った。四面楚歌の彼女のことで同情よりも自業自得であるとの悪口雑言が飛び交っていた。たまりかねた妻が様子を見てくると言い出した。
彼女のこころに触れようと、ある時、フランスの詩人ジャック・プレヴュールの
『美術学校』(福田陸太郎訳)という詩を示したことがある。
藁で編んだ籠のなかから 父は小さな紙のたまを選びとった
そしてそれを投げた 鉢のなかへ
目をみはっている子供たちの前で すると咲きでたのが
さまざまないろのついた 日本の大きな花 即製の睡蓮
子供たちは何も言わない あっけにとられて
それ以後かれらの記憶の中で この花のしぼむことはないだろう
この突然咲いた花 目の前で たちまちのうちに
かれらのためにつくられた花
この詩は一読すれば、水の入った鉢のなかで、紙製の水中花の開く有様を、初めて父親から見せてもらった子どもたちの無邪気な驚きが、率直に伝わってくる。子どもたちにとって、それが未知の経験があっただけに、その驚きの感情は純粋である。大人にとっては何でもない水中花でも、子どもには記憶の中でしぼむことのない花となるという単純な暗示があるのが面白い。この詩には想像力の世界にある人間の喜びがそれとなく表現されているのだが、ガラスの鉢に突然咲いた即製の睡蓮の水中花のまわりに、その喜びがただよっているのは、素晴らしいことである。
朝の散歩の時、向こうから来た件の女性に出会った。嘘か真か、真か嘘か話題の当人が遣って来たのである。人事不省の重態と聞いたがこれはどう言うことかと聞いたが、憎まれっ子世にはばかるで、5日間入院したが助かったと涼しい顔をしていた。皆が心配していたと言おうとしたら、この顔を見てびっくりするだろうと言うので黙ってしまった。
・きょうのわが駄作詠草
後ろから声かけられる不気味さよ茫々として崩れいる日の

1961

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