朝、さてどこに出掛けようかと考えていたら東京に在住して久しい息子が、明治神宮に参拝したことがないと言っていたので、雨の予想もずれたようだし、原宿で待ち合わせることにした。早目に着いたので、有名な竹下通りを散策してみた。若い女の子たちで溢れ返っていた。女の子の好きそうなファッション、スイーツ。まれに男の子のグループも。我々には場違いな雰囲気であった。
明治神宮には毎年年賀に300万人以上の参拝人が訪れることは承知していたが、関西に住む者には、伊勢神宮を始めとして初詣する古社が数多くあるので、正月に帰省してくれる息子には東京人がする年賀の習慣がなく、この神社にいったことがないというのも、さもありなん、と思った次第である。
なにごとに思いいるとも人はただ
まことの道をふむべかりけり
どんなことを思いつめたとしてもただ誠一筋の道をふむ
べきです
と、明治天皇の御製が、原宿駅を出て神宮橋を渡り明治神宮に入る大鳥居の手前のところに大書されているのが目にとまる。大鳥居は下部に榊の枝が取り付けられていた。参道に敷き詰められた玉砂利を踏みしめながら先に読んだ明治帝の御製を吟味して歩いている。大正9年11月1日(1920)鎮座祭がありまだ100年が経っていない社ではあるが、大日本帝国の威信をかけて造営されただけに荘厳な雰囲気を醸し出していた。
社殿では新嘗祭(にいなめさい=11月23日。天皇が新米を天地の神に供え、自らもこれを食する祭事)が挙されているのであろう宮司の祝詞が奏上されていた。神官たちの退席を待つ警備が物々しく流石に神宮の格式を感じさせられた。それにしても正殿に続く回廊に全国各地より奉献された新米をはじめとする山海の産物の膨大さには驚かされた。死しても明治大帝なのであろう。
参拝後、小雨のなか神宮の表参道を通り、青山の「根津美術館」を覘いた。実業家で茶人の根津嘉一郎(1860−1940)の収集品を展示するためにつくられた美術館である。その敷地は、河内国の丹南藩主高木家の下屋敷があったところを明治39年(1906)に根津嘉一郎が取得して数年がかりで造園した嘉一郎の私邸跡で、現在も広大な日本庭園があり、庭内には茶室が点在している。紅葉もしっとりと風情があった。収集品は主に日本・東洋の古美術で、その高い質と幅の広さに特色がある。根津コレクションは、茶道具もさることながら、仏教絵画、写経、水墨画、近世絵画、中国絵画、漆工、陶磁、刀剣、中国古代青銅器など、国宝7点を所蔵し、日本・東洋美術のあらゆる分野の名品が揃っていてこころを癒してくれた。
ここに来る表参道に面してルイ・ヴィトン、プラダ、クロエ、セリーヌ、ジバンシィ、ベネトンなどなど、服飾ファッションのブランドが勢ぞろいし、また異なった価値観の世界を現出していた。そういえばレディ・ガガも来日したら表参道で買い物をすると聞いた。有名人御用達の店舗が斬新なデザインで妍を競ってるのだ。ヨックモックの本店もあり、喫茶室では多くの人が寛いでいた。アップルの新製品が出る都度行列のできるアップルストアも息子に教えて貰い確認した。
もしかしたら特別展でもあり、お目にかかれたらと訪れた根津美術館の国宝中の国宝とされる尾形光琳の「燕子花図屏風」は庭園の池にカキツバタが咲く毎年4月下旬 - 5月上旬に公開されるということである。その頃に機会があれば訪れてみたいものだ。
・きょうのわが駄作詠草
しぐれ来て濡れたる傘を振り払い館に入れば殷の酒壷

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