春の好天の下を歩いて来た。
「源八(げんぱち)をわたりて梅のあるじ哉」大阪市営地下鉄堺筋線「扇町」駅で下車。「与力」「同心」「天満」と大坂の古い町名が続く。昭和になって橋が架けられて、「源八の渡し」が廃止されたとある。
蕪村は、この渡しを渡ったところにあった見事な梅林に咲く梅を見てここでは主(あるじ)は梅であると、吟じた句とされている。
「渡し場や片足ぬらす春の水」「春の水山なき国を流れけり」。悠然と、瀬音も波もたてず、冬の終りを告げて、新しい生命の誕生をうながしているのだろう。旧淀川と呼ばれた現在の大川は静かに流れていた。ユキヤナギは盛りであった。さくらはまだつぼみが多いが待ち切れず春に先駆ける花もちらほらあった。そんな風景を蕪村は、「春のぬくみを帯びた川が、山のないこの大坂の平野を流れていくよ」と、描写している。
土筆(つくし)を摘みに行くのだと、妻は誘ってくれたものの、さてそんな自然が残っているのかと、
「春風や堤長うして家通し」とある
『春風馬提曲』の道を毛馬に歩く。「わたしは春のある日、昔なじみの老人を訪ねて故郷.に向った。澱む川と異名がある淀川を渡って毛馬の堤にさしかかると、たまたま同郷に向う女に出会った。先になったり後になったりして往くうちに、時には振り返ってことばを交わすようになった。女のすがたはあでやかで美しく、何とも言えない艶っぽさに人を引きつけるものがあった。こころを動かされたわたしは、ここに十八の歌曲を作り、その女に代わってその意中を述べようと思う。題して、「春風馬提曲」と言う。」と、前書きした春風馬提曲、構図の巧みさ、彩色のあでやかさには文人画の大家としての味わいを覚える。
毛馬への道々の土手には、蓬(よもぎ)はあるが、妻のお目当ての土筆はなく他所に出直すとの不満が伝わって来る。
「たんぽぽ花咲けり三々五々」「三々は白し 記得す 去年この道よりす」。「タンポポの花が、ようけ咲いてるわ。黄色いのんやら、白いのんやら。そや、そや覚えているわ。大坂にはじめて奉公に出たときも、この道を通ったんやわ。」とは、文人画の世界である。そんなタンポポの乱れ咲く土手に土筆はない。突如後ろで「あの鳥の声は何でしょう」の女性の声があった。「ジーピチチロジージジ」と澄んだ鳴き声に「セグロセキレイ」でしょうと妻がいうと、そうですよねえとその女性は写真を撮っていた。
蕪村がこの作品を残したのは62歳。その老いの身には爽快な春風が吹いて故郷を想う懐旧の情の切々さを感じる。
・きょうのわが駄作詠草
いっせいに花の咲く日が近きかな蕪村の毛馬の道を歩きて

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