大阪で「ゆでたまご」のことを「ニヌキ」と言う人は少なくなってきた。先日もメイド喫茶の女の子に「ニヌキ」ということばを使ったら「何?」と問い返された。大阪に関する博識でその右に出る者がないといわれた牧村史陽が編集した
『大阪ことば事典』では、十分に煮抜いた卵の意とあり、近松門左衛門の人形浄瑠璃
『長町女腹切』の
「髭口寄せて頬ずりは、わさびおろしに煮ぬきの玉子、痛そな顔の痛々し」とセリフにあるように近松の時代から大阪で使われていたことばであると薀蓄が垂れられている。
京の茶屋井筒屋の遊女お花が、恋仲の刀職人半七の仕事場へ、半七の叔母と偽って訪ねてくる。主人はあやしみながらも、半七の部屋へ通す。その直後に本当の叔母が、大坂から預かり物の刀を携えてやって来る。騙されたと知った主人は、半七の部屋の障子をけやぶり、半七とお花を打擲する。咄嗟に叔母は、お花は腹違いの妹であると言ってその場をとりなし、主人をなだめる。主人は叔母の嘘にまんまと騙され、詫びを行って出て行く。
叔母は持参した刀を半七に見せ、お侍から預かった物であるが、実はこの刀こそ、武士であった半七の祖父、父母を死に追いやった祟りの刀であるとその因縁話をする。町人となった半七に祟ることもないであろうから、注文の細工をしっかりこなし、武家への出入りの足がかりになるようにと願い、叔母は刀を預けて帰って行く。
(中略)。半七は、お花を連れて、大坂の長町にある叔母の家を訪ねる。半七は刀をすり替えた罰を受けるために来たことを告白しようとしたその時、お屋敷に呼びだされていた叔母の夫甚五郎が、血相を変えて戻ってきて、刀が偽物であったことを告げる。事の重大さに驚いた叔母は、三代にわたって祟るという刀の因縁が、半七に悪心を起こさせたと言って、全ての責任をかぶって、自ら腹を切る。というのがあらすじであるお花半七の心中事件と大坂長町であった女の腹切事件を一つに合わせた珍しい事件を近松が脚色した名作である。
その
『長町女腹切』の舞台であった長町は、今は日本橋と名が替わり、「皆さん、こちらは日本橋安全まちづくりキャンペーンを実施中です」と、先導者のメイド喫茶に勤める女性の掛け声で、「まちをきれいに、安全できれいな日本橋をつくろう」のパレードの日である。区長、警察署長、消防署長を先頭に月一度歩くのであるが、その昔、穢い街のイメージがあった、長町にも、至純な女性があったことを浄瑠璃に取上げた文学作品があったことを思い、美しい街であれと歩いているところである。
・きょうのわが駄作詠草
あわれにも声かれてくる街にいて黄砂舞う日は疲れていたる

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