知人から、無農薬で作った夏の野菜のお裾分けに与った。北原白秋の
「ヤサイ」と題した詩がある。魚を獲るように野菜を採りに来たときの感銘が伝わってくる。
「ギンノサカナノトビハヌル ヤサイバタケニキテミレバ
ギンノサカナヲトラヘムト ヤサイアワテテハヲミダス」
胡瓜、ズッキーニ、茄子、ピーマン、青紫蘇、黄玉葱と存知おりの名前の夏野菜が目の前に広げられている。恐らく丹精込めて作られた逸品であう。
大阪には、往古、毛馬胡瓜(大阪市都島区)、服部越瓜(高槻市塚脇)、玉造黒門越瓜(大阪市」中央区)、勝間南瓜(大阪市西成区)、水茄子(貝塚市)、鳥飼茄子(摂津市)、田辺大根(大阪市東住吉区)、 守口大根(大阪市北区)、大阪四十日大根(豊中市庄本町)、天王寺かぶら(大阪市天王寺区)、金時人参(大阪市浪速区)、石川早生(いしかわわせ)(河南町石川)、蓮根(れんこん(守口市、門真市)、吹田くわい(吹田市山田)、大阪しろな(大阪市北区)、独活(うど)(茨木市太田、千堤寺)、源八芽じそ(北区源八橋付近)などの名産地があったのは調べればわかるのだが、絶滅寸前のすがたを細々と留めている状態と聞く。
鳥飼茄子
一人の女将を想い出した。主人に先立たれ、細腕で何とか通天閣の下ですし店を経営して老舗を守った人である。この女将のすし談義はいっぱいあるが、いまは大阪野菜の話である。
がりは生姜(しょうが)のことと承知しているが、ある時、
きずという聞き慣れない符牒が飛び出した。
「とろ・づけ・たま・げそ・ぎょく・かっぱ・鉄火・しゃり・じんがさ・さび・でばな・助六」との客とのキャッチボールが始まった。だが
「きず」は誰も知らなかった。そして、「かんぴょう。」と言い、地元の木津の品が江戸時代以来、全国一で、太巻すしに使われるのは木津地方生産のものでなければ駄目だったというが、節分の丸かぶりのすしの上物以外に、干瓢を見かけなくなってしまったのは寂しいかぎりであると嘆き、大阪野菜の宣伝に力を入れていたが、亡くなってもう10年が過ぎてしまった。この女将が大阪の胡瓜、南京、茄子、大根などの野菜料理は本職のすしより評判をとった。そんな大阪野菜を使った料理はもう見当たらなくなってしまったのだろうか。
その店からは余りに通天閣が近すぎて仰いでもそのてっぺんは望まれない。
・きょうの駄作詠草
夏の蝉何ゆえかほどに喧しく啼きいるなりや木津の地に来て

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