盆の休みとて墓参りに、嫁いだ娘二人が三人と二人の孫を連れて里帰りして来た。まだ小学生と幼い子供たちばかりで急に賑やかになって、猫はどこに隠れたのか、姿を見せなくなった。諸般の事情で忙しく東京の孫たちは来ていないが、男ばかりのなかに女の子が一人花を添えているのが可愛らしい。
明日が終戦記念日で、記録を紐解けば、政府と軍部の見解の相違でもたついた様子が滑稽である。
「いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ」と、近藤芳美の、知識人として戦時中屈辱のうちに鬱積していた感情を吐露した抒情を思いながら、将来、この子たちにあの戦争を経験させたくないという思いになるのも、この時期ではある。昭和20年(1945)原爆投下とソ連の参戦で日本の敗戦は確定的になった。しかし、9日から10日にかけての御前会議でポッダム宣言の受諾が決定されたが、軍部首脳は本土決戦を主張。そのために昭和天皇は再度に渡り御前会議を開催し国体護持を条件にポッダム制限の受諾を裁断いわゆる、日本の一番長い日になった。こころ尽くしの馳走を食べ、無心に興じる孫たちを眺めながら終戦前夜のお盆の集いを楽しんでいるところである。
・きょうのわが駄作詠草
かくすれば戦争のなき世が来るぞと朝顔のタネ一つ捥ぎ取る
1873

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