例年のように8月15日がやって来た。あの日から71回繰り返された鎮魂と追憶の日である。今年も正午からの戦没者追悼式に黙祷を捧げたあと静かに当時を顧みている。「よしよし。ところで、文子、今日は赤飯をたこうじゃあないか。もっとも、敗戦を祝ったなんていうとひと聞きがわるいから、名目は月おくれのお盆ということにするさ。本心は生き残ったことのお祝いということだね。」(富塚清
『ある科学者の戦中日記』)。「『ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃったらみんな死ぬわね』と妻が言った。私もその気持ちだった。やはり、戦争終結であった。君が代奏楽。つづいて内閣告論。経過の発表。―遂に負けたのだ。戦いに敗れたのだ。蝉はしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。」(高見順
『敗戦日記』)。「本日正午、いっさい決まる。恐懼(きょうく)の至りなり。ただ無念。しかし私は負けたつもりはない。三千年来磨いてきた日本人は負けたりするものではない。今夜一同死ぬつもりなりしが、忙しくてすっかり疲れ、家族一同ゆっくりと顔見合すいとまもなし。よって、明日は最後の団欒(だんらん)してから、夜に入りて死のうと思いたり。くたくたになりて眠る。」海野十三
(海野十三敗戦日記』)。「友だちの中には泣いているひともあったが、私はくやしいとよりはもっと複雑な思いがしていた。それは戦争も『やめられる』ものであったのかという発見であった。私には戦争というものが永久につづく冬のような(そんなものは実際にはありはしないのだが)天然現象であり、人間の力ではやめられないもののような気がしていたのだ」(北山みね
『人間の魂は滅びない』」。「この日午後川端警察署よりお役人見ゆ。会はず。
あなうれしとにもかくにも生きのびて戦やめるけふの日にあふ。」(河上肇
『河上肇全集』)。
書斎に閉じこもり、書架から手当たり次第に取り出した終戦の日の感慨文のそれぞれであるが、71年経った今と較べたらその価値感にかなりの隔たりが見られる。8月15日の先人たちの思いは決して忘却してはならないものと心にひびいてくる。
・きょうのわが駄作詠草
紅き花百日咲いてぽとぽとと落ちる悲しみ終戦忌かな

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