わが家の前の道の東南にあるビルが取り壊されてさらに先に建つビルからそんなに遠くない方角に聳え建つあべのハルカスが望まれるようになった。更なる高層階のビルが建つまでの束の間の空間なのであろう。阪神高速市内1号環状線が建設されてもう半世紀が経っているであろう。高津入掘川の水路上を利用して狭い大阪市内を走らせたのだから、市電を廃止して地下鉄を走らせる大工事で市内中心道路は大混雑していたことを想い出す。当時はまだ通天閣も手に取るように眺められたものだが、いつの間にやら眺めることが出来なくなり、日本一高いビルが建ってもビルの谷底にあるようなわが家からは5階の屋上からしてもその存在が確認出来なかったのである。吉田兼好によれば、
「花はさかりに、月はくまなきをのみ、見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情けふかし。」と、
『徒然草』第137段に見る。さくらの花は、いまを盛りに咲きほこっているのだけを、月は一点のくもりもなく照り渡っているのだけを、見はやすものだろうか。そうとも限らない。満開のさくら、照り輝いている満月が、われわれを深く感動させてくれるのを認めた上で、花や月の美は、それだけに限定されるものではないことを兼好は説こうとしたのであろう。日々移り変わり行く街の様子を眺め、老若男女の異邦語が飛び交うのを聴きながら佇んでいるところである。
・きょうのわが駄作詠草
百円で恋を占う籤を引く嬌声、嘆息はたまた落胆

2005

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