(承前)南方熊楠邸をあとにして折角、田辺まで来たのだから闘鶏神社に立寄ることにする。この神社の娘を熊楠が嫁にした縁を思いながら訪れる。新熊野鶏合(いまくまのとりあわせ)大権現闘鶏神社とあるのだから熊野権現に所縁の宮であることが分かる。
源平合戦の際、源平どちらに加担するかで思案した別当湛増が、神前で赤(平氏)と白(源氏)の鶏を合わせたところ赤鶏が白鶏を見て一番も闘わず逃げたので源氏に味方したという故事により闘鶏神社の社号になったという。社務所でご朱印を戴いている間に以前ここに立寄った時に聞いた先の大戦が終って外地からの引揚者が田辺港に帰国した話を思い出して神官に訊ねた。神官は地図を出して来てその場所を教えてくれた。
今日の海は冬には珍しく凪いでいた。海外引揚者上陸記念碑はそこにあった。
碑文には、「太平洋戦争の終結により、海外から軍人・軍属・一般邦人630余名が引き揚げた。ここ田辺港も昭和21年 2月20日国の引揚指定港となって田辺引揚援護局が開設され、6月24日まで輸送船63隻が入港し、中国、台湾、マレーシア、インドネシア、パプアニューギニアなどから引揚者22万332名が故国へ第一歩をしるし、同時に戦争の犠牲となった1万1469柱の遺骨も無言の上陸をした。」とある。九死に一生の命拾いして帰国した南方方面からの引揚者の万感の思いを忖度してしばし湾口に佇んでいると、当時仏印から引揚げて来た人から幾たびも聞かされた苦労話が耳の底に残る。
ふるさとの山はなつかし ふるさとの川はなつかし
疲れたるこころいだきて 足おもくかへり来たれば
ふるさとに山はありけり ふるさとに川はありけり
小腹が空いたので田辺市の人気トンカツ店「よし平」に立寄る。店前の板塀に「昭和8年 よし平 今日も元気にとんかつよし平 今日も楽しくとんかつよし平 ・・・」消え入るように殴り書きされた文字が食欲を誘う。磯の香りが夕ぐれの冬の田辺港から伝わって来る。
・きょうのわが駄作詠草
戦いはたちまちにして業苦あり冬の日暮れて田辺湾より

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