一年で最も落ち着いた時候である今時分の静けさが好きである。寒さ厳しきのなか陽が射せば春の匂いがするからである。
『古今集』に誰が詠んだのか詳(つまび)らかでない
「色よりも香こそあはれと思ほゆれ 誰(た)が袖触れし宿の梅ぞも」という名歌がある。例えば、「梅はその色彩よりも香りの方がしみじみと趣深く思われる花である。宿の梅に誰かの袖が触れて、その移り香が香っているのだろうか。」とでもつぶやいているのでしょう。
正月以来、わが宿のなかでも踏み入れる間がなかった書斎に入っている。書架にある書物をなぞりながら、梅の香が何処からかただよって来ないかと思いながら、手に取って見開いたのは、上田郁史
『俳人山頭火―その泥酔と流転の生涯』である。
著者はその「まえがき」に社会的栄誉と財産と妻を捨てて一介の俳人になった尾崎放哉と比較して種田山頭火は、ある日路上で拾って来た化粧品のクリームのあき瓶から発する異性の匂いに年甲斐もなく抗し難く夢精する。山頭火には高貴なお方の袖に触れた梅の香であったのだろう。
「放蕩無頼―風に柳の如くあれ」。
「出家得度―舌無くして喋る」。
「行乞流転―魚ゆいて魚の如く」。
「酔中野宿―忍び寄る懐疑」。
「東漂西泊―寝る食べる飲む」。
「煩悩菩提―鉄鉢の中へも霰」。
「其中一人―飯ばかりの飯」。
「廃庵晩秋―今度こその乞食」。
「仲秋無銭―愚に生きる」。とある目次をなぞって行けば、山頭火の人生が読める。
「今日一日、腹を立てない事。」「今日一日、嘘をいはない事。」「今日一日、物を無駄にしない事。」を誓願して乞食の旅に出た。
「分け入っても分け入っても青い山」と、「山頭火よ、お前は何処へ行くのか?」と自分を自分で呼ばせたに違いない行乞流転の旅の生涯であった。
冬の蝿採らえて捨てる屑のなか何故かあわれと捨てどころなる

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