(承前)。流れ橋のある近くに「四季彩館」というやわた流れ橋交流プラザ(八幡市上津屋里垣内56の1)がある。そこで流れ橋周辺地区のビデオの公開がなされていた。
かって庄屋であつた国の重要文化財になっている伊佐家住宅のことが紹介されていた。母屋は享保19年(1734)に建築された入母屋造り。大きな茅葺屋根は、かつてあった巨椋池の茅で葺かれ、特徴的な赤い壁は、今は入手できない伏見の「桃山」という壁土を用いる。と説明されて行く。
かってその屋敷に、和算の英才があった。現代の文章による問題にすれば、次のごときものであろう。その和算とは、現在でいう算数のことである。
「ある博物館の入館料は大人500円、子ども300円です。 ある日の入館料を調べてみたところ、大人の入館料の合計は、子どもの入館料の合計より14000円多いことがわかりました。入館者数は、大人と子供合わせて700人でした。この日の入館料の合計は何円ですか?」
と言った類いの問題を言うのだが、18歳の折、下図にあるような問題を作り、付近の「石田神社」に奉納していた。

多分、レベルの高い地域であったのだろう。
その地を後にして、蟹の伝説縁起が残っている「蟹満寺」を目差す。
「みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ」と
『小倉百人一首』にある中納言兼輔の詠草にある風景と比べながら、「古(いにし)えに酒をつくる甕(みか)を埋めてからいつしか泉が湧きだしたという瓶(みか)の原 その原をふたつに分けて さらさらと流れる 泉川」そんな川に沿って広がるみかの原、百人一首に夢中の孫たちは、ここがみかの原‼とよろこんでいた。
金柑のたわわに実る寺に来て蟹を助けし伝承を聞く

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